主と共に人の前に立つ

エレミヤ書26章1~19節  牧師 鈴木光

エレミヤ書を読んでいきます。神様に背いて滅亡に向かうユダ王国の人々に向かって、エレミヤは神様から悔い改めのメッセージを語るようにと遣わされます。

1.主と共に人の前に立って福音を伝える
エレミヤが遣わされたのは「神殿の庭」でした。本来なら神様の宮ですが、祭司も預言者たちも形ばかりで心は神様から離れています。いわば、敵対的な人々の真っただ中にエレミヤは遣わされました。
私たちも「時が良くても悪くても」イエス様の福音を宣べ伝えるようにと語られています。それは、エレミヤと同じように主に遣わされている教会の使命です。
しかし、主は単に遣わすというのではなく、「わたしが命じる言葉を」というように、ご自身が責任をもって語られる方です。イエス様も「言うべきことは聖霊がその時に教えてくださる(ルカ12:12)」のように、自分(聖霊)も共に立つと約束をしてくれています。
また、伝えるメッセージも悔い改め、つまり神様に立ち帰って向き合うようにという厳しい内容でありつつ、「災いを思い直す(3節)」ための愛のメッセージであることがわかります。主と共に人々の前に福音を伝えること、それが時代を超えてエレミヤと同じように私たちにも語られています。

2.聞く耳のあるものに選ぶべきことを伝える
エレミヤの話を聞いた祭司や預言者、そして神殿にいた人々は「死刑」にするべきだと怒り始めます。そして、そこに集まった高官や国の民の前にエレミヤを立たせます。エレミヤはそこで、ひるむどころか新たに集まった「高官たちと民のすべての者に向かって(12節)」同じメッセージを伝えます。
イエス様も「聞く耳のあるものは聞きなさい」と何度も繰り返し言われました。聞く耳を持たないものに執着する必要はありません。まだ聞いていない人に語るようにとうながされています。

3.イエス様の後についていく
聞いた人々はエレミヤが主のメッセージを語っていると正しく受け止めました。イエス様の裁判をしたピラトも同じように言いました。私たちも聖書のメッセージを伝える時、様々な応答に出会います。しかし、そのことをとおしてイエス様を最も深く体験することがあります。恐れずイエス様の後についていきましょう。

<思い巡らし>
私たちは遣わされています/聞く耳のある人は/イエス様の後から