いちじくの実を見て
エレミヤ書24章1~10節 牧師 鈴木光
神様は「いちじくの実」を用いてエレミヤにメッセージを伝えます。
1.良いいちじく
いちじくは日本同様(あるいはそれ以上に)ユダヤでは一般的に親しまれている果実です。ヨヤキン王が第一次捕囚でバビロンに連行され、最後の王となるゼデキヤが国を治めていた時に、神様はある日、エレミヤにいちじくの実の入った二つの籠を見せます。一つには非常に良い実が、もう一つには非常に悪い実が入っていました(1~3節)。
そして主は言います。「(バビロンに)送ったユダの捕囚の民を、わたしはこの良いいちじくのように見なして、恵みを与えよう(5節)」
普通の感覚では捕囚に連れて行かれた方が罰を受けていて、残った方が祝福のように感じます。しかし、神様は逆だというのです。ヨヤキン王は若くして王位につき、わずか三か月で囚われていき、過酷な時代を生きます。しかし、後の出来事を見ますと、確かに彼はその日々の中で神様に立ち帰ったのでしょう。バビロン王の終生の友となった晩年の姿が聖書にはでてきます(列王記下25:27~30)。苦難が良いことだとは言いませんが、人の目に良くないと映ることをとおして、主はかえって恵みを与えることが確かにあります。
2.主が主であることを知る心
神様は捕囚の出来事をとおして、ヨヤキン王と捕囚の民に「わたしが主であることを知る心を彼らに与える」と言います(7節)。聖書をとおして私たちに示されている最も恐ろしい罪の状態は、神様を失っていることです。私たちを造られ、愛しておられる主との関係を回復するように、私たちは今日も招かれています。
3.悪いいちじく
一方で最後の王となるゼデキヤとユダヤに残った当時の民は、「悪いいちじくのようにする(8節)」と言われます。実際、彼らはエレミヤをとおしての再三の警告をことごとく無視し、あるいはひどく逆らって、結果、バビロニア帝国に滅ぼされることになります。
イエス様もいちじくの木を枯らすという行動をとおして、見栄えだけ気にして神様との関係の実を結ばない人々に語りかけました(マタイ21章など)。主は忍耐強く待ってご自分のもとに私たちを招きます。その機会を逃さないようにしましょう。
<思い巡らし>
苦難をとおしての恵みは/主を認めていますか/応答しましょう