彼の名は我らの救い

エレミヤ書23章1~8節  牧師 綿引久美子

神様の民失格と言われてしまったイスラエルの民。しかし、神様はアブラハムとの約束を忘れることはなく、とことん愛と赦しを貫きます。

1.災いだ(1~2節)
前節(22:30)では、『ユダを治める者が出ないからである』とのエレミヤによって語られた主の言葉が記されています。『選民失格』神様の民として生きてきたイスラエルの人たちは、ここで神様に一度捨てられる経験をすることを警告されます。彼らは神様の民であることに、甘えていました。神様との関係をおろそかにし、偶像に仕え、神様の警告にも素直に受け入れることはありませんでした。口では神様の御名をたたえていたのに、もう一方で他の神々や国の権力者に対しても、ひれ伏していました。また、私欲のために、弱いものを虐げて、私財を増やし、悪事を行っていました。神様はすべてをご存じで、彼らが神様に立ち帰るものを待っていたのです。しかし、世の快楽に溺れ、やりたい放題のイスラエルの民に、一度神様の沈黙によって断絶することを決めました。神様の苦渋の決断です。

2.神様のお立てになる牧者(3~4節)
神様は一度、民を異国の補囚にすることをお赦しになって、民との関係を断絶します。沈黙されるのです。しかし、神様は、アブラハムと約束したこと、またダビデとの約束の更新など、今まで約束してきたことに対してそれを撤回することはありませんでした。神様によって異国に散らされたものをイスラエルに連れ戻し、新たに牧者(リーダー)を立てて、再び国を治めさせることをエレミヤに告げます。神様が選んだ牧者をお遣わしになるのです。その牧者は、連れ戻した民と共にあって、そこには平安があるのです。恐れも、おびえることはありません。また神様から離れて、道に迷うこともないのです。折が良くても悪くても、いつも牧者の守りと養いの中で、守られ過ごすことをエレミヤの口を通して神様は教えておられます。

3.正しい若枝(5~6節)
神様がお選びになる牧者は、『正しい若枝』と言われました。若枝は、救い主を象徴する言葉です。つまりメシア、イエス様のことです。私たちの王となってくださり、
正義と恵みの御業を行ってくださるのです。『正義』神様との関係を回復させ、『恵みの御業』自ら犠牲を払って私たちを救い上げてくださるのです。

*人の営みには、折りの悪い時もあります。一度この地では苦難があるかもしれません。しかし、必ず神様の愛と救いが私たちを平安で覆うことを忘れないでください。
救われた人生は、祝福のご計画であって、そこに必ず主が生きておられます。