心に神のことばを

ルカによる福音書11章24~28節  牧師 綿引久美子

『真の幸い』とは?あなたの幸いと思うことはどんなことでしょうか?

1.汚れた家がきれいになった(24節)
イエス様は、悪霊を追い出されました。今日の個所の前にはその話が記されています。『汚れた家』とは悪霊の住まわれる家、この家は、イエス様を知り、イエス様の救いを受け取りました。悪霊はイエス様のお名前によって追い出されてしまいました。
『家』は私たちの生活です。神様のおられる所(支配の及ぶところ)です。誰かが住んでいます。しかし、その人が追い出されたら空き家になるのです。そこはイエス様によってきれいに掃除され片付けられていました。きれいになった空き家は、神様に救われた私たちの生活です。そこに本当は神様と共に私たちの歩みがあれば、その家は空き家ではありません。

2.もし空き家だったら(25~26節)
整えられた家。空き家だったらまた誰かが引っ越してきます。悪霊はイエス様によって追い出されました。しかし、イエス様が住むのではなく、空き家であるなら、悪霊はそこが「自分の家」だから、戻ってきます。悪霊の居場所はそんなに簡単には見つからないのです。しかも悪霊は友達を誘って戻ってきます。7の悪霊を引き連れて戻ってくると書かれています。私たちはイエス様に救われたなら、空き家にしておいては悪霊を追い出す前より一層悪くなります。だからイエス様と共に歩む新しい生活があることは大切です。イエス様を知ることはそして救われることは、ゴールではありません。イエス様と一緒の新しい生活が始まる時です。この生活の柱に、神のことばがあります。神のことばに生かされ神様と共に生活するのです。

3.神様がくださる真の幸いと私たちの住むこの地の幸い(27~28節)
『真の幸い』は、神様のことばを聞き守ることです。心に神様のことばのある人は、
神様が生活の中に明かりを灯してくださいます。永遠に消えることのない明かりが灯る家です。『この地で見る幸い』は、有能な息子の親であることだとここで言っています。立派な子どもの親ならば、人に自慢できるでしょう。その人は人からうらやましがられるかもしれません。しかし、それは永遠ではなく、一時の誉れです。
神様のことばが私たちの心にある時、私たちは、失望はなく、いつも未来に希望があります。私たちに、行く道を教えてくださるのです。その道を歩むなら、私たちはいつも神様に守られ、歩みは神の恵みに満ち溢れ、日々その生活に喜びを見つけることができます。そして、神様がつなげてくださる『神の家族』を得るのです。その交わりを通して、私たちは、神様との深まりを得るのです。『心に神のことばを!』