天に書きしるされた私の名前

ルカによる福音書10章17~24節  牧師 綿引久美子

あなたの『喜び』は何ですか?日歩の生活の中にある喜びを見つける目によって、人の人生は変わります。

1.72人の喜び(17節)
イエス様に任命された72人は、福音(救いの知らせ)を人々に伝えるために2人一組となって各地に派遣されました。そして彼らは、喜びに包まれて、イエス様の所に戻ってきて報告をします。彼らは、イエス様の御名の力によって自分たちが悪霊に打ち勝ったことをとても喜びました。自分の行い(doing)を喜んだのです。人は実感のあることに感情が動かされます。

2.イエス様の喜び(21節)
イエス様は、この派遣した72人の報告を聞いた後で、ご自分の喜びをおっしゃいました。『天の父なる神様が、世の知恵に生きる人や自分の知識で理解する人達に、自分の思いを教えず、自分の家も居場所もない小さな者(イエス様)にもわかるようにしてくださったこと、そしてそのことが神様の御心に適っていること』がイエス様の喜びでした。自分という小さな存在が、神様には尊く、かけがえのない存在であることを喜んだのです。イエス様は今ここにいること(being)を喜んだのです。

3.天に名前の記された私の喜び(20節)
神様を信じる人は、天の国に国籍があります。その人は、この地上において、どのような生活をしていても、仮に居場所がなかったとしても、天の国に自分の居場所が用意されているのです。なぜなら、天の国には神様を信じるあなたの名前が記されているからです。これは永遠に抹消されることのない天に刻まれた私の名前なのです。
イエス様の血潮によって刻まれた名前なのです。
この地上では、肉体がある地上の命と天でも生きる永遠の命とで生きています。そして天の国では永遠の命で生き続けるのです。死ぬことはないのです。「私」という存在がずっと生き続けること、肉体が滅んだ先にも生きる希望があること、それこそが生きている私たちにとって一番の喜びです。私たちの力でどうすることもできない「死」というものに、恐れを抱くこともなく、天の国での生活に未来があるのです。さらに、愛する者を失う時、天での再会を希望に生きることができるのです。神様にある喜びは、一時に喜びではなく「永遠の喜び」で喜び続けるものなのです。そのことを『喜び』として生きる人の目は幸いだとイエス様はひそかに教えてくれています。

私たちも「神様を仰ぐ喜びの目」を持っていることに気づきましょう。
そして見続けていきましょう