望まれない使者
エレミヤ書14章1~16節 牧師 鈴木光
エレミヤ書の続きを読んでいきます。神様のもとに戻らず背き続ける民に干ばつ(飢饉)がおとずれます。神様のメッセージと間に立つエレミヤに注目しましょう。
1.さまよう民、迎えられない主
エレミヤは神様について「なぜあなたは、この地に身を寄せている人、宿を求める旅人のようになっておられるのか(8節)」と言います。神様がさまよっているのはひと言でいえば民が決して迎え入れようとしないからです。
逆に民に対して主はこう言います。「彼らはさまようことを好み、足を慎もうとしない(10節)」神様は彼らと共にいようとしますが、民はそこに留まろうとしないことを嘆いています。
イエス様がへりくだり人間となってこられた姿からも分かるように、主はいつも私たちと共にいることを求めています。この方と向きあい迎える者になりましょう。
2.偽りを語るもの、それを聞きたがるもの
エレミヤは厳しい神様の裁きの警告を続け、何とかして民が立ち帰ることを願い続けます。一方で、ちまたには偽預言者がたくさんあらわれます。彼らは「剣も飢饉もこの国に臨むことはない(15節)」と言い、「確かな平和を…(主が)与えられる(13節)」と神様が言っているわけではない勝手な預言(メッセージ)を人々に語ります。
そして残念なことに人々が求めるのは自分たちが聞きたい、自分たちにとって都合の良い言葉でした。エレミヤの真実な警告には耳を貸さず、偽預言者の聞こえのいい言葉を求めるのです。
裁きのメッセージだけ受け取れということではもちろんありません。大切なのは、都合の悪いことや見ないふりをしたい自分の姿から目を背け続けるのではなく、それごと持って神様の前に進み出ることです。主は赦し、受け入れてくださいます。
3.望まれない使者
エレミヤは預言者として神様の厳しい言葉を語りつつも、「我々の罪が我々自身を告発しています(7節)」と言って自らも民の側に立ちます。また「この民のために祈り、幸いを求めてはならない(11節)」と言われても、民のためにとりなしつづけます。ここには罪をきちんと正しく裁かねばならないけれど、どこまでも赦しそうとして十字架にかかるイエス様の姿が重なります。
<思い巡らし>
神様を迎えましょう/罪も隠さず主の前にもって出ましょう。