まばゆい光で満ちる衣
ルカによる福音書9章28~36節 牧師 綿引久美子
ペトロの信仰告白の8日後、イエス様は弟子の3人を選び、祈るために山に登られました。祈りは即座に応えられ、御子イエス様のお姿に変貌します。
1.栄光に包まれた二人(30~31節)
イエス様は、三人の弟子たちの前で、人となられたイエス様のお姿から、神の御子であるイエス様のお姿へと変貌します。そして、旧約の代表と言われるモーセとエリヤとイエス様は、ご栄光に包まれたその中で話をします。この栄光こそ、イエス様そして父なる神様の放たれる神様のご栄光であり、まばゆい光に包まれ、人が直視できないほどの光景であったことが想像できます。この栄光は、神様の霊も充満し、人知を超えた驚異的な状況であったことがわかります。
2.栄光の中の3人が話したこと(31節)
神の栄光の中で、イエス様とモーセ,エリヤが話した内容は、実はルカの福音書だけが取り上げています。それは『イエス様がエルサレムで成し遂げようとされている最期の話』です。『最期』とは、ギリシャ語では『エクソドス』という言葉が使用され、「出ていくこと,この世を去ること」を意味しています。実は旧約の出エジプト記は英語で『エクソダス』と言います。この言葉からわかる通り、エジプトに移り住んだイスラエルの民を、神様がモーセという主導者を選び、奴隷の立場から、救い出して自由の身としたことを示しています。神様の目的は民が神の民となる事でした。イエス様はご自分が受難を受けて、民をこの地から救い出し、真の神の民として生きるようにすることが神からの使命です。このことを話していたのです。
3.神様からいただく衣(29,34節)
神様は、神の民として生きるために、ご自分で準備なさった衣をくださいました。
神の霊で私たちを充満し、罪で汚れた身体は、イエス様の血潮で洗い流してくださり、イエス様の服のように白くしてくださいます。そして、その姿は、まばゆい光に満ちた衣を着た姿となるのです。地の人には見えることはありません。なぜなら理解できない超越した衣だからです。神様の霊が共にあって、神様の知恵をいただき、神の民として生きる人でなければ、わからないのです。しかし、神様の眼差しには、このまばゆい光に満ちる栄光の衣が良く見えるのです。そしてその衣をまとうものは、神のことばを聴くことができ、そのことばを生きる糧として、イエス様のように生きることができるのです。あなたが神様を信じているなら、あなたは神の民として、まばゆい光を放つ衣をまとっています。そして、いつも神様のご栄光が輝き、世の光となり希望となって世に遣わされて、生かされているのです。イエス様のように。