メシアは救い主

ルカによる福音書9章18~27節  牧師 鈴木光

イエス様が弟子たちに御自分を何者だと考えているか問いかけると、ペトロが「神からのメシアです(20節)」と答えます。この信仰の告白を受けて、イエス様はいよいよ本来の使命である十字架と復活の出来事について、弟子たちに明かしはじめます。とても重要なターニングポイントになる出来事です。

1.メシアは救い主
そもそもメシアというヘブライ語は、油注がれた者という意味で、旧約聖書の時代からずっと神様が予告してきた約束の「救い主」のことを指す言葉です。
ペトロはイエス様がその救い主であることを信仰の告白として表明しました。では、救い主であるとは一体どういうことなのでしょうか。

2.十字架と復活の主
イエス様はこのペトロの言葉の直後から、十字架で自分が殺されることと、その三日後に復活することを弟子たちに話すようになります(21~22節)。十字架と復活こそ、私たちにとって最大の救いのみわざなのです。
十字架にかかってイエス様は私たちの罪の裁きを代わりに受けて、そこから救い出してくれました。また、復活をとおして死と滅びから、天国の永遠の命への救いを与えることができることを証明されたのです。神の赦しと命の与える救い主です。

3.ついて行くべき主
さらにイエス様は「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい(23節)」と言われました。神様の大きな救いを与えるだけではなく、私たちがどのように生きるべきなのかを教えてくれるのもイエス様です。イエス様は私たちに「ついて来なさい」と言って導いてくださり、また共に生きてくださる救い主です。

4.命を救う方
「わたしのために命を失う者は、それを救うのである(24節)」とイエス様は言います。それは(積極的に命を失えと言う意味ではなく)、私たちがもはや自分で自分の命を救う必要はないということです。既に救いを与えられた者として、喜んでイエス様と共に生きなさいと言っているのです。

<思い巡らし>
十字架と復活の救いを受け取りましょう/イエス様の後について行くためにはどうしたら良いでしょう/イエス様と共に生きる者になりましょう。