神様の涙

エレミヤ書13章1~17節  牧師 綿引久美子

神様の恵みを忘れて、異国の神々にも、より頼む神様の民の姿に、麻の帯とぶどう酒のかめを用いて、神様はエレミヤにメッセージを託します。

1.麻の帯(7節)
神様はエレミヤに語ります。『麻の帯を買って腰に締め、その帯を洗わず、腰から外して、ユーフラテスの岩の裂け目に隠しなさい』。ユーフラテスは、エルサレムから600キロほど離れたバビロンに近い町です。神様に言われて、その帯を回収に行くと、その帯は腐っていて役に立たなくなっていました。麻素材の服は、祭司の服の素材、そして帯は結ぶものです。想像すれば、神様とユダやイスラエルの民(神様の民)との関係が壊れてゼロになったことを教えています。これが後に起こるバビロンの捕囚の出来事を知らせています。(預言的象徴行為)

2.ぶどう酒のかめ(13~14節)
ぶどう酒は、聖餐式やカナでの婚礼(ヨハネ2章)を思い起こせば、「神様の祝福(救済や恵み)」を現しているのがわかります。そしてかめは、注がれる器ですから私たち、この時代なら神様の民です。ぶどう酒は酔いしれます。酔いしれたら訳が分からなくなります。神様の民は、恵みを忘れていることに気づきません。それどころか、神様に選ばれたことの上に奢り高ぶりを見せます。その民の姿を神様が警告しています。(預言的象徴行為)

3.神様の涙(17節)
民は奢り高ぶり、神様を忘れて、自分の欲に任せて生きる神様の民の姿を、その姿の影で、悲痛な思いで、涙を流しながら見つめます。愛してやまない民が、自分からどんどん離れて快楽にふける、そして、他の神々に対しても、御自分に拝するように、民は拝している姿を、胸が張り裂ける思いで黙って受け止めておられるのです。その民を悲痛な思いに、さらに苦痛な思いを重ねて、異国に預けるのです。捕囚の民となり異国にひかれていく民の姿を涙でかすんだ瞳で見つめるのです。それがバビロン捕囚です。
しかし神様はここで終わりにはなさりません。これは『平和の計画であって、災いの計画ではなく、将来と希望を与えるものなのです』(エレミヤ29:11)

神様は、愛する独り子を献げて、永遠の救いを成し遂げられました。役に立たない帯はもう腐ることのない帯となり、ぶどう酒はいつもかめからあふれるほどに湧き出ているのです。それが私たちの今です。神様の愛は、私たちの思いをはるかに超えて『深く、広く、大きく、永遠』です!!