聞くこと、行うこと

ルカによる福音書8章16~21節  牧師 鈴木光

イエス様が(聖書の)御言葉をどう聞くと良いかを教えてくれます。

1.キリストの光に照らして読む
まずイエス様は「ともし火」のたとえで話します(16~17節)。ともし火をともしておいて、その光を隠す人はいません。意味がないからです。
いろんな意味のあるたとえですが、今日はイエス様が別の個所で「わたしは、世にいる間、世の光である(ヨハネ9:5)」と言い、また「聖書はわたしについて証しをするものだ(同5:39)」と言われたことに注目して考えてみましょう。
すなわち、聖書の言葉はイエス様のことが中心的に書かれているのですから、そのことを前提に(イエス様の光に照らして)聞くと言うことが大切だということです。難解な部分も「イエス様なにをおっしゃりたいのですか」という思いで聞いてみましょう。不思議とそのメッセージが伝わってくることがあります。

2.なんちゃってでも良いので信じて聞く
次に「だから、どう聞くべきかに注意しなさい(18節)」とイエス様は言います。そこで続けて語られるのは、心を開いて信じて聞くことの大切さです。イエス様の光に照らされると良く分かるので、イエス様を信じて聞く時にその言葉はますますよく分かります。
もちろん、無理に信じ込んでということではありません。イエス様の弟子たちもイエス様の言葉を疑いつつもイエス様に従い、やがてその信仰がはっきりとしていきました。大切なのは心を開いて、なんちゃってでもいいので信じているテイで聞くことです。すると(気持ちの問題ではなく)これも不思議と分かってくるのです。

3.聞いて行う
さて、そこにイエス様を訪ねてお母さん(マリアさん)と弟たちがやってきました。しかし、そこでイエス様は、自分の家族とは「神の言葉を聞いて行う人たちのことである」と言われたのです(19~21節)。
これはイエス様は家族に冷たいという話ではなく、むしろ家族が誰にとっても重要な存在であるからこそ、「聞いて行う」ことがそれほど大切だといっているのです。それは家族である条件ではなく、生き方の招きです。神の家族の名に相応しいイエス様に倣った歩み、つまり御言葉に従う歩みを今日から始めてみましょう。

<思い巡らし>
イエス様について書かれている前提で御言葉を聞きましょう/心開き信じて聞いてみましょう/聞いたことを実際に行ってみましょう