良い土地に落ちた種

ルカによる福音書8章1~15節  牧師 鈴木光

ルカによる福音書から、今日はイエス様が有名なたとえ話をする個所です。

1.種まきのたとえ
種まきのたとえ話は、マタイ、マルコ、ルカの三つの福音書に記録されています。基本的には同じ内容ですが、それぞれの視点から強調されていることが違うのが興味深い点です。今日開いているルカの福音書では、特に種(御言葉)の信仰がダメになってしまう原因について注目して記されているのが特徴です。
農夫が種を蒔くように、聖書の言葉が一人一人に蒔かれます。
道端に落ちた種は「人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった(5節)」と言います。それは、御言葉を聞いても悪魔がその言葉を奪って行ってしまう人のことをたとえます。悪魔は現実には何も分かりやすい姿で出てくるわけではありません。「人に踏みつけられ」というように、人の言葉や人の世の雰囲気を用いて言葉が心にとどまらないようにすることがあります。
石地に落ちた種は「水気がないので枯れてしまった(6節)」と言います。土が浅く根が広く張れないと保水できないように、試練にあっても聖書の言葉が心の内で育つように、硬い心を取り除き、水を与えるように継続的に聞くことが必要です。
茨の中に落ちた種は「茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった(7節)」ので実らないと言います。「一緒に」伸びると言うのがポイントで、聖書の言葉が心の中で育っても、同じように悩みや誘惑も大きくなるというのです。信仰が成長すれば大丈夫になるのではなく、いつも謙遜に、慎重に御言葉に従うのが大切です。
そして、良い土地に落ちた種は「百倍の実を結んだ(8節)」と言います。大切なのは実るまで御言葉に聞き、実際に行動にうつし、何より忍耐強くそれを継続することだと言っているのです。

2.叫びつづけ、尋ねつづけ
 継続して御言葉に従っていくことの大切さは、イエス様と弟子たちのやり取りの中にも表されています。イエス様は「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で言いました(8節)。この大声で言うとは、繰り返し言い続けると言う意味があります。また、弟子たちもどんな意味かと「尋ねた」と言いますが、これも普段から繰り返していたことが読み取れる表現が原語で使われています。繰り返し、聞き、分からなければ尋ね、また実際に行い続ける時に実りは生まれるのです。

<思い巡らし>
たとえの表現の中で、思い当たる自分の姿はありますか/御言葉を聞き、尋ね、また従うことを繰り返していきましょう。