天と地を造られたかた

エレミヤ書 10章1~16節  牧師 鈴木光

エレミヤが神様のメッセージを預かり伝えていた時代、人々の持っていた大きな問題の一つは偶像礼拝でした。そのことについて神様が語りかけます。

1.恐れるな
神様はまず繰り返して「天に現れるしるしを恐れるな(2節)」、「(人間の手によって造られた偶像を)恐れるな(5節)」と言います。一方で人間は自然を恐れて崇拝したり、造られたものを恐れて崇拝することがあります。しかし、聖書はその自然や世界も、また像を造る人間も、そもそも神様によって造られたものであることを教えています。私たちが恐れを感じるとするならば、それはその背後にある本当の造り主への恐れなのです。

2.恐れるべきもの
さらに続けて、王や賢者や偉い人たちも神様に「並ぶもの」ではないのだから、恐れるべきものではないと言います(6~9節)。
自然も偶像も人間も、造られたものです。それを神様のように扱ったとしても、「天と地を造らなかった神々は、地の上、天の下から滅び去る(11節)」と言っています。むしろ、恐れるべきはすべてを造ったかたであり、すべてを裁くことのできるかたであり、命を与えることのできるかた、主なのです。

3.わたしのもの
一方で、それは主は力があって怖い方だから恐れなさい、という脅し文句だと考えるべきではありません。事実、力のある方ですが、聖書はその方が自ら人間となり、十字架にかかり、私たちを赦してくださったことをこそ語っています。
今日の個所でも神様を信じる人々が「その方(神様)の嗣業の民である(16節)」と語られています。ここで言う「嗣業の」とは「この人のものとして割り当てられたもの」という意味です。つまり、神様は私たちを「わたしのものだ」と宣言しているのです。
こう聞くと、人間の独占欲や支配のような感じと誤解してしまうかもしれませんが、神様の意図はそうではありません。聖書は神様が私たちをご自分の子どもだと言い、あらゆる裁きや悪魔の働きから「この子は関係ない」と宣言してくださっているのだと教えているのです。

<思い巡らし>
恐れるべきでないものを恐れていませんか/すべてを造られた神様の大きさに思いをはせてみましょう/神様の宣言を信じて受け取りましょう