枯れた骨が生き返る時

エゼキエル書37章1~14節  牧師 鈴木光

ペンテコステ(聖霊降臨祭)です。聖霊が与えられている恵みを感謝し、また聖霊によって満たされることを願い求めて、礼拝しましょう。

1.枯れ果てた骨
国が滅びようとする時期、バビロニア帝国に捕囚の民となったイスラエルの人々の中でエゼキエルは神様からのメッセージを受け取り、人々に伝える預言者となりました。ある日、彼は骨だらけの谷に神様に導かれるという不思議な体験をします。その多くの骨はいずれも「甚だしく枯れていた(2節)」と記されています。
神様はこの枯れ果てた骨はイスラエルの人々そのものだと言います。「彼らは言っている。『我々の骨は枯れた。我々の望みはうせ、我々は滅びる』」と神様は続けて言います(11節)。
コロナ禍を経て、あるいはこの暗い時代の中で、私たち教会も同じく枯れ果てた骨になってしまったように感じることがあります。「これらの骨は生き返ることができるだろうか(3節)」と神様は問いかけますが、それはとても無理だと現実の厳しさを突き付けられているようにも思えます。

2.骨に向かって言え
ところが、続けて神様はさらに不思議なことを言います。「骨に向かって預言し」なさいというのです(4節)。神様が骨の上に筋をおき、肉を付け、皮膚で覆い、そして「霊を吹き込む」と言われるのです。
骨に向かって言うとはいかにも意味のないことのように感じますが、エゼキエルは素直に従い、語り始めます。すると…、神様が言われたとおりのことが起きるのです。神様は命の主です。望みの無いように見える現状があろうとも、神様の声を忠実に聞き、誠実にそれに応えていく時に、主ご自身が不思議な業を始めるのです。

3.霊に向かって言え
さらに神様は「霊に預言せよ(9節)」と言われます。神様の霊に何かを命じるのは、どこか不遜で不可解に感じますが、やはりエゼキエルは言われたことに従います。そしてそのとおりになるのです。私たちにも同じように主は語りかけます。「求めなさい。そうすれば与えられる(ルカ11:9)」と。私たちも聖霊を求めましょう。主が圧倒的に私たちのもとにいてくださることを求めていきましょう。

<思い巡らし>
私たちの現実を素直に受け取りましょう/それに絶望せず神様の呼びかけを聞いて応えましょう/聖霊を求めましょう!