実を結ばない木

エレミヤ書 8章13~23節  牧師 鈴木光

今月はエレミヤ書を読んでいきます。神様に背き続ける人々に、エレミヤをとおして神様は嘆きと裁きの警告を伝えます。

1.呼んでも集まらない人々
今日の個所は、誰が言っているのか分かりづらい(というかハッキリとは分からに)という面白い特徴があります。「主は言われる」と明確に書かれているところもありますが、エレミヤが自分の心情を言っているように思えるところもあれば、まるで神様とエレミヤが(場合によっては裁きを受けようとする人々まで)一体となって嘆き祈っているように見えるとところもあります。
聖書では神様が「憐れみ深い方」であると繰り返し語られますが、聖書で言う「憐れみ」とは、苦しみ嘆きを自分が体験しているように共有することを意味します。まさに、そのような憐れみの神様の言葉がつづられているようです。
「わたしは彼らを集めようとしたが(13節)」応えなかったということを、神様は言います。イエス様も同じ憐れみをもって、応えない人々に言いました。「(あなたたちを)何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった(ルカ13:34)」そして、人々の滅びを代わりに受けるために十字架に向かいました。イエス様は今も私たちに呼びかけています。その声に応えましょう。

2.実を結ばない木
エレミヤをとおして神様は続けて言います。「ぶどうの木にぶどうはなく、いちじくの木にいちじくはない(13節)」
イエス様もいちじくの木を枯らして、悔い改めて立ち返ることのない人々が、やがて滅んでしまうことを警告しました(マタイ21:18~19)。かえって、ぶどうの枝のように自分につながって、実を結ぶようにと呼びかけています(ヨハネ15:4~5)。

3.与えられたものを取り戻す
「葉はしおれ、わたしが与えたものは、彼らから失われていた(13節)」と最後に神様は言います。イエス様もタラントンのたとえ話(マタイ25:14~30)の中で、与えられているものを神様のために用いる時に、それが幾倍にも増え、逆にそうしない時に失われていくことを教えています。あなたに与えられた人生と賜物を神様との関係の中で、良い用い方をしていきましょう。

<思い巡らし>
主の言葉に応えよう/イエス様につながろう/賜物を用いよう