ゆるされた者の愛
ルカによる福音書7章36~50節 牧師 鈴木光
ルカによる福音書の続きを読んでいきましょう。
1.赦されて愛を知る
イエス様がファリサイ派の人の家に招かれます。その食事の席に「一人の罪深い女」がやってきて、イエス様の足を涙で洗い、高価な香油を塗りました。家の主人のファリサイ派であるシモンは、女性の行動を黙って受けているイエス様の様子を見て、罪深い女だと気づきもしないのかと心の中でバカにしました(36~39節)。
イエス様はたとえ話を用いて、イエス様に対して失礼な行動をとり続けるシモンと、感謝の思いが止まらない様子の女性の違いを話します(40~46節)。そして「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる(47節)」と言いました。
この女性は自分の罪深さを知り、それがすべて赦されたことを知って、イエス様の愛の深さを身に染みて知りました。不思議ですが、自分の罪を深く知れば知るほど、それを赦すイエス様の愛が分かるのです。だから罪が良いということではありません。神様の愛を知りたい者は、既にある自分の罪を知ることが大切なのです。
2.ゆるされた者の愛
もう一つ不思議なのは、ここでイエス様が理由も示さずいきなり「この人が多くの罪を赦されたことは」と言って、この女性の罪が「既に赦されている」ことを宣言したことです。しかし、実はこの「もう赦されちゃってる」女性の姿こそが、私たちの姿をよく表しているのです。
私たちは神様との長い交渉や、償いの行動のゆえに赦されるのでも赦されたのでもありません。ただ、イエス様の一方的な十字架の身代わりによって、赦されちゃってる、のです。あとは、私たちが信じて受け取るだけ。それが信仰です。
3.平和の中に進み行け
イエス様はさらに「あなたの罪は赦された」と宣言し、「安心して行きなさい」と言われます(49~50節)。私たちの安心は、私たちの信仰の強さや人柄によるのでは全くありません。ただ、主であるイエス様が約束してくださっていることにあります。罪に悩む人は誰でも、イエス様の前にそれをもって行き、悔い改めて赦しの宣言を受け取りましょう。
<思い巡らし>
罪を知ることを求めて祈ってみましょう/それが既に赦されていることを信じて受け取りましょう/イエス様と共に安心して一歩踏み出しましょう