敵を愛しなさい

ルカによる福音書6章27~36節  牧師 鈴木光

イエス様の有名な教え「敵を愛しなさい」が語られています。

1.奪うものに与えなさい
 敵を愛するということはどういうことでしょうか。色々な形でイエス様が語っていきます。第一のポイントは、「奪うものに与える」という驚くべきことです。自分に精神的、肉体的、物質的に自分に損害を与えるものに祝福を与えよと言います(27〜30節)。理解に苦しみますが、なぜイエス様はそういうのでしょうか。
 それはイエス様が私たちに対してまず与えてくださっているからです。十字架はその最たるものでしょう。私たちが善人だからイエス様は十字架にかかられたのではありません。むしろ神様に対して罪人であるからこそ、それを赦すために命を与えられたのです。

2.人にしてもらいたいことを人にしなさい
続いてイエス様は「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」と言います。その意図するポイントは、見返りを期待しないで与えなさいということです(31〜34節)。自分を愛してくれる人を愛するのは誰でも同じです。しかし、自分に見返りがなくても愛しなさいとイエス様は言うのです。
これもまた、イエス様がそうされたからです。私たちは良い行いによって救われるのではなく、ただイエス様が一方的に赦してくださったから救われているのです。私たちはただそれを受け取るだけで、ギブアンドテイクではないのです。私たちが一方的に与えられているのだから、与えられたように与えなさいと言われるのです。

3.情け深く、憐れみ深く、主がそうであるように
 最後のポイントは、主がそうであるように、誰に対しても憐れみ深くあるようにということです(35〜36節)。別の箇所でイエス様は「隣人を愛する」とは、相手が誰であっても(敵対していても)、その人が助けを必要とする時に隣人になりにいくことだと教えました(善いサマリア人のたとえ)。これもまたイエス様がそうであるからです。敵を愛するのは普通ではありません。しかし、イエス様から受け取るものではじめて生まれるものです。イエス様に応答していきましょう。

<思い巡らし>
奪うものに与える/見返りを期待せずに与える/誰でも隣人になる/そんなイエス様の歩みについていきましょう