死と復活
マタイによる福音書27章57節~28章10節 牧師 鈴木光
イースター(復活祭)です。イエス様は実に復活されました。喜び祝いましょう!
1.確かめられた死
イエス様は十字架にかけられて、死なれました。それは仮死状態であとで目をさました、というようなことではありません。本当に文字どおり完全に死なれました。今日の個所(27:57~66)には、イエス様の遺体を引き取り、お墓を提供して葬ってあげたアリマタヤのヨセフ、その一部始終を見ていた婦人の弟子たち、さらには遺体泥棒を恐れたユダヤのリーダーたちとローマ帝国の総督であるピラトまでが、死んで墓に入れられたイエス様に関わっていたことが記録されています。
つまり、あらゆる立場の人間が共通して知っていたことは、イエス様が確かに死んだということだったのです。
私たちは、人は死んだら生き返らないと知っています。だからこそそれを恐れ、話題にあげることを避けたり、目をそらしたりします。しかし、イエス様はそのみんなが知っている死を、復活によって覆されたのです。
2.復活
イエス様が死んでから三日目に婦人の弟子たちが墓に行くと、天使たちがあらわれて彼女たちにこう告げます。「あの方(十字架につけられたイエス様)は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ(6節)」
誰も覆すことのできない「死」の場所であるお墓で「ここにはおられない」と宣言されました。まさに、イエス様はすべての人を支配する「死」を打ち破ったのです。この復活こそが、「信じる者に死の先の命を与える」というイエス様の約束の確かな証しです。
3.「おそれ」と「喜び」
知らせを聞いた婦人の弟子たちは「恐れながらも大いに喜び(8節)」ほかの弟子たちのもとに伝えに走り出します。そして、その途上で復活したイエス様本人に会うのでした(9~10節)。イエス様はいつものように「おはよう」と婦人たちに声をかけます。彼女たちはその足を抱き、ひれ伏しました。妄想や願望の類ではない、リアルな対面があります。イエス様の復活は現実であり、私たちの信仰は今まさに生きているイエス様と共に生きることなのです。それは、恐怖という枠を超えた「畏れ」と「喜び」に満ちたものです。
<思い巡らし>
復活したイエス様/今共におられることを思い巡らしましょう。