思いがけない時
マタイによる福音書24章45~51節 牧師 綿引久美子
その日、その時は、だれも知らない」父なる神様だけが知る「その日その時」まで、私たちはどのように過ごしたらよいかをイエス様は教えます。
1.忠実で賢い僕(45~47節)
主人(神様)は、私達を最後の審判の時から救おうとお決めになっています。しかし、僕(私達)と言いながら、何事も強制せず、自由に地上での歩みを選ばせる権利をお与えになりました。だから、神様の救いに預かっていながら、忠実で賢い僕ばかりでなく、悪い僕も出現します。「終わりの日は必ず来る」イエス様は何度も私達に教えてくださいます。そのことを、イエス様が教えてくださっていることに感謝して、信じて歩む人は、「忠実な僕」です。また、自分の思いを選ばずに、神様の御言葉から日々人生を生きる知恵をいただいて、それを実行して歩む人は、「賢い僕」です。神様といつも共に生きる人が「忠実で賢い僕」です。
2.悪い僕(49、51節)
悪い僕は、神様を信じ、救いに預かっていながら、「終わりの日は来る」と言われても、まだ来ないと勝手に思い込んで、自分の今ある地上の生活を自分の思いどおりに、好き勝手過ごしている人です。「うさぎとかめ」や「アリとキリギリス」。
今生きている目の前の楽しみばかりに目を留めて、まったく「終わりの日」の備えをしない人です。
3.予想しない日、思いがけない時(50節)
「終わりの日」は必ず来ます。そしてその時、神様に褒められるか?どうかは、今生きている私たちの心の中によって決まります。いくら、口先で「神様」と言っていたとしても、心の中の王座に自分が座っていれば、自分の思うままに行動します。日々神様が心の王座におられるなら、神様の御言葉に耳を傾け、主と共に歩もうと願うのです。
神様は、大切な我が子の命を犠牲にして、私達を救われるのです。私達を救おうと思う神様の御旨は、いつも本気です。「目を覚ましていなさい」「準備していなさい」と私達に前もって教えてくださる神様の愛は、本気です。
<思い巡らし>
「終わりの日」が来ることを本当に真剣に受け止めていますか? 神様の救いを本気で願っていますか?本気で神様に褒めてほしいと思えますか?神様はあなたの心に目を留めています。