生ける者の神

マタイによる福音22章23~33節  牧師 綿引久美子

イスラエルの指導者たちとの論争はまだまだ続きます。テーマは「復活」です。

1.サドカイ派のたくらみ(23節)

サドカイ派は、復活を認めないことを特徴とするユダヤ教の一派です。政治的権力を持つ富裕層の指導者たちです。支配体制の現状維持を一番に考えています。彼らにとってイエス様の存在は、自分たちの現状を揺るがす目の上のたん瘤のような存在です。彼らは、イエスの失脚を狙って、律法をも使って論争を企てます。そのテーマが「子孫を残すために定められた再婚」をめぐる話です。「この世で7人の兄弟を夫にした妻はいったい誰の妻になるのか?」厄介な話なのはすぐ分かります。

2.地上の生活と天国の生活(29~30節)

イエス様は、「聖書も神の力も知らない」といいます。サドカイ派の人たちのプライドを傷つける応えです。さらに強い言葉で「思い違いをしている」と言われます。「復活の時」、ここでは、イエス様が再臨され、私たちが天国で生活する時のことを指しています。律法は、この地上で過ごす私達に与えられた神様の規範です。

神様が共に住まわれる天国での生活に律法を適用して議論することは、根底からずれています。私達にもある、「人が中心にある信仰の姿」です。

3.復活とは(31~32節)

論争を仕掛けてきたサドカイ派の人たちに、復活について教えます。「神は死んだ者の神ではなく、生ける者の神なのだ。」「死者の復活」は、この地上での命について私たちが見えている命の形です。アブラハムの時代から今もそして未来も生きておられる、「時を創られた永遠の主」は、生ける神です。神の子を通していただく『新しい命』に、『死』はありません。

サドカイ派の人たちに言われた「思い違いをしている」とは、「惑わされている」という意味もあります。地上で生きる私たちは、地上を基準に復活を考えてしまう惑わしを受けています。もう一度、イエス様の救いにあずかった「新しい命」を、真実をもって受け取り、その命を生きていきたいと思います。

<思い巡らし>
復活は、隠された神の国の奥義を知るために、私達に与えられた神様の手がかりだと思います。しっかり向き合っていきましょう。