マタイによる福音書21章18‐22節 

今日の個所には、イエス様が空腹を覚えていちじくの木に近寄るけれど、実が無いので枯らす、という非常に不思議な出来事が記されています。実はここでは、いちじくの木を用いてイエス様と私たちの関係について語られています。

1.イエス様を受け入れない人々
 この出来事の初めに「朝早く、都に帰る途中、イエスは空腹を覚えられた(18節)」と書いてあります。普段はガリラヤ地方で働きをされていたイエス様にとって、都であるエルサレムに「帰る」というのは少し違和感があります。
 イエス様は神殿を「父の家(ルカ2:49)」と呼んでいました。イエス様は神の子(神様が人となられた方)ですから、まさにこのエルサレムには「帰ってきた」のです。しかし、帰ってきたはずのイエス様を迎えたのは、「自分たちの都合の良い救い主を求める群衆(1~11節)」や「神殿を商売の場所にする人々(12~17節)」、そして「イエス様を拒み攻撃してくるリーダーたち(23節~)」でした。
 実のない枯れたいちじくは、イエス様を受け入れない人々の姿をたとえています。それは、私たちのことであり、あなたのことでもあるかもしれません。

2.たちまち枯れることのないように
 つまり、このいちじくの木の出来事は、イエス様から私たちへのメッセージです。「このまま神様から離れて、悔い改めないなら滅びてしまう」と、はっきり伝えても聞く耳を持たない人々への、それでも滅びないようにと気づかせようとする、懸命のイエス様の呼びかけなのです。

3.主を求める人
 最後にイエス様は「信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる(22節)」と言います。これは、求めるものを得る方法を教えているのではなく、信じて祈ること、そしてイエス様を求めることを始めるように呼び掛けています。イエス様はいちじくの木に「空腹を覚えて」近づきました。それは、イエス様を求めて神様との関係を回復する人を、飢え渇くように求めているイエス様の姿です。

<思い巡らし>
イエス様を受け入れていますか/神様との関係を回復しましょう