天の国に入るには

マタイによる福音書19章13‐30節 

どうすれば天の国に入ることができるでしょうか。イエス様の言葉を聞きましょう。

1.「何をするか」ではなく「どこに行くか」
 イエス様のもとに子どもたちが祝福を求めて連れて来られます。弟子たちは彼らを叱りますが、イエス様は「わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである(14節)」と言います。
 一方、次にやってきた聖書に詳しそうな男性は「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか(16節)」と言います。イエス様は会話の中で、彼の根本的な誤解を気づかせようとします。それは、彼が天国の永遠の命は「よい行い」によって獲得できるもので、方法をイエス様と言う先生に聞こうとしたことです。聖書が語っているのは、天国は善い行いによってチケットを得るものではなく、その主人であるイエス様によって与えられるものだということです。
 イエス様のもとに行き、子どものようにただ受け取りましょう。
 
2.天国に希望を持つ(それが難しいのは罪があるから)
 質問してきた男性は、自分は聖書の教えを全部実行してきたと言います。しかし、イエス様に「もし完全になりたいなら」財産を全部貧しい人に施して、自分に従うように言います(21節)。彼は財産をたくさん持っていたので、悲しみ去りました。
 イエス様は言います。「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい(24節)」無理だということです。これは、単に「金持ち」の話ではなく、私たちみんなの話です。地上のものを天国には一つも持ち込むことはできません。それは神様の完全な御国だからです。このことは、人生の旅路が天国に希望を移していく旅路であり、人は自分の力で完全にはならないことを教えてくれます。

3.ただイエス様の愛によって
 弟子たちは「それでは、だれが救われるだろうか(25節)」とざわめきます。イエス様は彼らを「見つめて」、人間にはできないが神様にはできると言います。その眼差しには、彼らを(そして私たちを)愛して十字架にかかろうとするイエス様の愛が満ちています。私たちはただ恵みによって、天国を受け取るのです。

<思い巡らし>
天国は行いによりません/天に希望を持てますか/イエス様の愛で