クリスマスを喜ぶ
ルカによる福音書1章46~56節
アドベント(待降節)二週目を迎えています。受胎をしったマリアの賛歌に耳を傾け、クリスマスを喜びをもって待ち望みましょう!
1.私を見てくださる主
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです(46‐48節)」とマリアは歌います。マリアはイエス様を身ごもったことを喜び、「幸いな者」だと自分を呼びます(48節)。実際問題として、まわりの憶測や誹謗中傷は容易に想像できますが、マリアは人の評価や攻撃に目を留めず、小さな自分に「主が目を留めてくださった」ことこそ自分の評価にしました。主は「私を見てくださる主」です。
あなたの価値は、イエス様を与えてくださった主の評価によります。そのまなざしを受けて、私たちは主を賛美しましょう。
2.主イエスと私と私たち
「小さな自分」から始まった賛歌が、最後には「その僕(しもべ)イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません(54節)」と民族規模の壮大なスケールになっていきます。マリアは聖書に親しんで、創造主である主の見ている世界を基準に物事を見ていました。だから、「私」にとどまらず「私たち」という喜びを味わっていました。
クリスマスはイエス様が私たちのために生まれて下さった日です。そして、イエス様によって私たちは神様の子どもとされました。この恵みを喜びましょう。
3.主をほめたたえよう
マリアは「わたしの魂」と「わたしの霊」で主をあがめ、賛美しました。漠然と霊魂というものではなく、聖書は「心、思い、精神、そして魂」という私たちの内面と、「霊」という神様から与えられた命の本体があることを正確に示しています。つまり、文字どおり私たちの「すべてのすべて」を使って主をほめたたえる、とマリアは表明しているのです。私たちもマリアと共に全身全霊で主を喜び祝いましょう。
<思い巡らし>
主は私を見てくださる/神様の子とされる/全身全霊でさんびする。