わたしの愛する子

マタイによる福音書17章1~13節 

ペトロの信仰告白の後、イエス様は弟子たちに、ご自分が神の子であり、神様に遣わされたメシア(救い主)であることを自ら明らかにされます。

1. イエス様の姿が変わる(2~3節)
 イエス様は、弟子たちに、ご自分の死と復活の予告をなさった後、3人の弟子たちを連れて高い山へ登られます。そこでイエス様は、神の子本来のお姿を、弟子たちの前で顕わします。また、神の子の姿となったイエス様は、モーセとエリヤと話をする姿も弟子たちに顕わします。
 イエス様は、ご自身が真のメシア(救い主)であること、そして、ご自分が旧約の時代に交わされた神様の約束を完成させるものであることを、弟子たちに明かされたのです。
2.人の想いと神様のご計画(4~8節)
 神の子の姿を顕わされたイエス様とモーセとエリヤの会話に、ペトロは口を挟みます。しかし、光り輝く雲の中から「これは私の愛する子~」の声にすべてはかき消され、気が付くと、その姿はなくなって、イエス様だけがそこにおられました。ペトロが感激のあまりとっさに出た「3つの幕屋を建てたい」という想いは、明らかに人の想いです。神様のご臨在の中にあって、人の想いは何にもなりません。弟子たちは、この光景に衝撃を受け、神様の臨在の前にひれ伏し、今まで経験したことのない恐れに襲われます。そして、とんでもないところに口を挟んだことに気付いたペトロは、神の子であるイエス様が、これから起こる神様のご計画をあかしてくださっている状況に気付くのです。しかし、明かされた全貌を理解することはできませんでした。
3.すでに始まる神様のご計画(9~13節)
 イエス様は、山を下りる時、「今見たことを人の子が復活するまで話してはいけない」と命令します。そして律法学者の言っていた、「エリヤが来ること」をイエス様に質問します。この時、イエス様は、洗礼者ヨハネの時からすでに救いの計画は始まっていて、そこにイエス様の十字架と復活が必要不可欠であることを弟子たちに教えられます。
 今の私たちにとっても、神様のご計画の中で、神様の時間と共に、神さま主導で生かされていることを気づかされる大きな出来事です。。