小犬の信仰
マタイによる福音書15章21‐28節
イエス様と異邦人(外国人)の女性のやり取りから、信仰とは何かを見ましょう。
1.イエス様が「誰」なのかを知っている
まったくの異邦人である女性がイエス様のもとにきて言います。「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています(22節)」ここには人種民族に関係なくイエス様を信じる信仰の核心が表れています。
第一に、彼女はイエス様に「主よ、ダビデの子よ」と呼びかけました。「主」とはこの世界のすべてを作られた創造主の神様を指す意味があります。特に彼女はイエス様の前で礼拝をする姿勢で願い求めました(25節)。また、「ダビデの子」は旧約聖書で語られてきた救い主をあらわす言葉です。つまり、彼女はイエス様が主なる神様であり、自分を救ってくれる救い主だと信じていたのです。
2.イエス様が憐れみ深い愛の方だと知っている
第二に彼女は「わたしを憐れんでください」と言いました。聖書の憐れむとは相手の痛みを共有して思いやることです。彼女はイエス様が自分たちの苦しみを理解してくれて助けてくれる愛の方だと信じていました。
ところが、イエス様は「子どもたちのパンを取って小犬にやってはいけない(26節)」つまり、ユダヤ人のための働きをあなたにしてあげるわけにいかない、と言いました。犬扱いとは酷いと感じますが、彼女はなんと「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです(27節)」と答えたのです。
彼女は自分はイエス様の前に取るに足らないものだと自覚しつつ、同時にイエス様はそんな自分を決して見捨てることなく助けてくれる方だと確信していたのです。
3.イエス様はできると信じている
最後に彼女は「娘が悪霊にひどく苦しめられています」と言うように、人知を超えた問題をイエス様なら解決できると信じてやって来ました。そして、文字どおり「あなたの信仰は立派だ」と言われ、娘は癒されたのでした。本当の、本当にイエス様は現実を変える力のある方だと信じる信仰でイエス様と向き合いましょう。
<思い巡らし>
イエス様は誰?/イエス様の愛を知っていますか/本気の信仰で。