人の言葉、神の言葉
マタイによる福音書15章1‐20節
イエス様を責めようと指導者たちが「なぜ言い伝えを守らないのか」と問います。
1.ダブルスタンダードの危険
ファリサイ派や律法学者の人々(指導者たち)が、イエス様の弟子たちが(ユダヤの慣習の)手洗いをしないことをとがめました(1~2節)。これに対してイエス様は彼らに、ではなぜ「自分の言い伝えのために、神の掟を破っているのか(3節)」と、もっと本質的な彼らの問題点をズバリ指摘します。
彼らは神様の教え(律法)を守ることを第一にしていると言いつつ、自分たちに都合の良い(人間の)言い伝えを用いて解釈を曲げることがありました(4~6節)。このダブルスタンダード(二つの基準が相反しているのに使われていること)の危険は、今の私たちにも大いにあります。神様を第一にしていると言いつつ、世の中で第一にされている価値観を優先することは決して少なくないと思います。
2.心はどうか?
イエス様は続けてイザヤ書の言葉をあげます。「この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間の戒めを教えとして教え、むなしくわたしをあがめている(8~9節)」
結局のところ、あなたの心はどうなのか?とイエス様は問いかけます。外見はいい、本当のところ、あなたの心は神様に向いているのか。神様と本当に生きた関係をもって歩んでいるのか、ということです。
3.人を汚すもの
どんなに外面は神様に従っているように見せても、あるいは「良い人」のように振舞えても、心の中にあるものが悪ければ人は汚れていきます(10節)。しかし、聖書の福音(良い知らせ)は、その汚れはすべてイエス様の十字架の血が洗い流すという約束です。悔い改めて、イエス様を信じなさい。そうすれば、罪は洗われ、聖霊があなたの内に住まわれる。ここに希望があります。
<思い巡らし>
信仰と世の価値観のダブルスタンダードがありませんか?あなたの心は実際どうですか?
内なる汚れをイエス様によって赦され新たに歩みましょう。