罪の力と人の弱さ
マタイによる福音書14章1‐12節
洗礼者ヨハネが領主ヘロデに殺されます。人の罪の問題に目を留めましょう。
1.神を認めず人を恐れる
イエス様の評判を聞いて、ヘロデは「自分が殺したヨハネの生き返りか」とおののきます。そしてヨハネが殺された出来事が記されます。ヘロデは妻を離縁して、異母兄弟の妻へロディアを自分のものとします。もちろん聖書の教え(律法)に反しているので、ヨハネがそのことを責めると、ヘロデは彼を投獄します。
しかし、なかなか殺さなかったのは、「民衆を恐れた」からだと言います(5節)。
また、へロディアが自分の娘を利用してヨハネの首を求めた時も、「客の手前」引くに引けずに結局処刑したことが記されています(9節)。
「罪」の本体は「神を認めない(ローマ1:27)」ことですが、まさにヘロデの視界には神様はいませんでした。そして「人がどう思うか」「周りにどう見られるか」ということだけに集中して恐ろしい決断をするのでした。
あなたは神様を認めていますか。それとも人の目によって生きていますか。
2.神の言葉より人の言葉
へロディアの娘が宴席で上手に踊ったので、「何でもやろう」と軽はずみにヘロデが誓って約束した結果、へロディアによってヨハネの首を取ることになりました(6~9節)。「誓ったことではあるし(9節)」とヘロデは考えますが、そもそも神様との約束である聖書の律法はまったく守っていなかったのがヘロデです(4節)。
神様の言葉は聞かないが、人の言葉は(体面を守るため)大切にしている姿もまた、「神を認めない」人の罪の姿そのものです。
3.立ち返るチャンスを逃さずに
一方で、ヘロデはヨハネを処刑するとき「心を痛めた(9節)」と言います。それは、彼がヨハネの話を聞いて、当惑しながらも喜んで耳を傾けていたからです。ヘロデにも神様に立ち返るチャンスがありました。与えられた機会を逃さずに悔い改めて主を信じることが大切です。ヘロデもこの出来事の後、イエス様に出会います。私たちにもイエス様はいつも呼び掛けています。呼びかけに応えていきましょう。
<思い巡らし>
神様を認めていますか。目を留めているもの、耳を向けているのは。