人間になった神様
マタイによる福音書13章53‐58節
故郷のナザレに戻ったイエス様を人々は驚きをもって迎えます。
1.もともと神様だから
安息日の会堂でイエス様が教えるのを聞くと、人々は「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう(54節)」と言います。自分たちの町で育った、よく知っている「イエス君」なので驚いたのでしょう。
どこから知恵と奇跡が来ているかと言えば、神様に決まっていますが、そもそもイエス様自体が最初から神様が人になられた方でした(ルカ1:34~35参照)。
2.本当に完全に人間になられた
それでも人々は大工のお父さん(ヨセフさん)や母マリアさん、弟たち、おそらくお嫁さんとして町に住んでいる妹たちのことも知っていましたから、「普通に人間じゃん」と言う驚きが止められません(55~56節)。
そうです。イエス様は完全に人間になられたのです。聖書の別の個所にはこうあります。「キリストは、神の身分でありながら、…人間と同じものになられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした(フィリピ2:6~8)」
完全に人間になることで、完全に人間が受け取るべき罪の裁きを、まったく罪のないイエス様が完全に受け取ることができました。イエス様は本当に人となって、私たちの滅びの身代わりとなられました。
3.今、共におられるイエス様
故郷の人々は目に「見えている」イエス様につまずきました(57~58節)。一方で、私たちは「見えない」イエス様を信じることに難しさを感じます。しかし、イエス様はそのために「聖書」と「聖霊(神様・イエス様の霊)」を私たちに与えています。あなたがイエス様を心に迎えて祈る時、そして聖書を開く時、当時の故郷の人々や弟子たちと同じように、いやそれ以上に、今共にいるイエス様と向き合うことができます。
<思い巡らし>
人となられた主であるイエス様/今も求める者に応えてくれます。