灯火を消さない

マタイによる福音書12章15-21節 

イエス様はどんな方でしょうか。ご自分をねたみ、命を狙う人々へのイエス様の対応を見ると、旧約聖書の時代から語られてきた「救い主」の姿そのものでした。

1.本物の救い主の姿
 救い主の姿を語るイザヤ書には「彼は争わず、叫ばず、その声を聞く者は大通りにはいない(19節)」と記されていました。イエス様はご自分をねたみ、殺そうと企み始めた人々の前から立ち去ります。彼らの誤りは正しますが、争わずに離れました。そして、付いて来る人々を迎え、病の人を癒しましたが、そのことを言いふらさないようにと言いました(15~16節)。
 イエス様は自分を誇ることも、相手を滅ぼすことも目的ではありませんでした。ご自分の使命(十字架の赦しと復活の命)を果たすために、神様のやり方を貫き通しました。ここに本物の救い主の姿があります。
 
2.くすぶる灯心を消さない
 また、救い主は「傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さない(20節)」方だと記されていました。葦は様々な用途(物差し、ペン、籠など細工品ほか)に用いられていましたが、傷ついた葦は役に立たないので折って捨てられます。油が切れかかった灯心は煙を出すばかりで、役立たないばかりか邪魔なほどです。しかし、救い主はそれらを捨てないと言います。
 イエス様は罪人や、病などで弱り果てている人を見捨てることがありませんでした。私たちはどんなにか「役に立つ」ということに縛られ、自分や他人の価値を決めているでしょうか。しかし、イエス様は人の目に役立つかどうかを見ません。たとえ誰が役に立たないと言っても、主は決して捨てることはありません。

3.異邦人の希望
 救い主は「異邦人に正義を知らせる(18節)」と言い、「異邦人は彼の名に望みをかける(21節)」言います。イエス様は「昔の」救い主でも、「誰かの」救い主でもなく、あなたに愛と赦しと命を与える救い主です。

<思い巡らし>
イエス様の姿や、人へのまなざしを見てどのように感じますか。