疲れたら来なさい

マタイによる福音書11章25-30節 

イエス様が祈りつつ、また私たちに語りかけます。

1.天地の主である父よ
 町々に遣わされ戻って来た弟子たちを迎えると、イエス様は「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます(25節)」と祈り始めました。祈ると言っても、それは手を組んで、目を閉じて…、という祈りというよりも、弟子たちを前にして普通に語り合うように神様に語りかけている姿です。
 目には見えない神様がはっきりと見えるような、自然な祈りの姿に私たちのあるべき信仰の姿を見ることができます。「天地の主」である方に「父よ」と、いつも呼びかけ、語り合って生きていけるのは、私たちの信仰生活の一番の特権です。
 
2.幼子のような私たちに
 また、この祈りの言葉にはイエス様のおさえきれない喜びがあふれています。人間的には特別な能力があるわけでもなく、かえって頼りない普通の人々である弟子たちが選ばれ、それぞれ遣わされてイエス様の働きを共にし始めました。
 この世の中の知恵や、賢さではない、つたなくても、弱くても、幼い子のようにイエス様に信頼して、懸命についていこうとする者たちが「御心に適う」のです(25~27節)。私たちを見てイエス様が喜びにあふれているとは、なんと嬉しいことではないでしょうか。

3.わたしのもとにきなさい
 最後にイエス様は私たちに語りかけます。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう(28節)」疲れた人、重荷を負う人はいますか? イエス様はあなたを呼んでいます。イエス様のもとにいきましょう。
また、「休ませてあげよう」といいつつ、すぐにイエス様は「わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい(29節)」と言います。単なる休息ではなく、イエス様の前で、重荷をすべておろして、イエス様が共に担ってくれるくびきを首にかけるとき、私たちは安息を得ます。最終地点の天国の永遠の命まで、私たちの旅路は続きます。しかし、イエス様と共に歩む旅路は、荷も軽く、平安の旅です。

<思い巡らし>
父よ、と呼び掛けましょう。イエス様はあなたを喜んでいます。
イエス様の前で重荷をおろし、そのくびきを負って共に歩み始めましょう。