何を見ましたか
マタイによる福音書11章1-19節
イエス様が洗礼者ヨハネの弟子たちとのやり取りをとおして語ります。
1.聖書で見て判断しなさい
洗礼者ヨハネは弟子たちを、イエス様こそ救い主かどうかを尋ねるように遣わしてきました。イエス様はその問いに、「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい(4節)」と応えられました。イエス様が人々を癒し、福音を宣べ伝える姿を見れば、イエス様こそ救い主だとはっきりわかるのだからです。
私たちも、実際に見て判断することが一番です。今の時代に私たちが与えられている「見る」手段は、第一に聖書です。私たちがイエス様がどなたかをはっきり知ることができるようにと、求めて聖書を読んでいく時に私たちはイエス様を見ます。
2.求めることを恥ずかしがらずに真っすぐに求めよう
ヨハネの弟子たちが帰ると、イエス様は今度はご自分に何となくついてきている群衆に向かって語りかけました。人々が洗礼者ヨハネのもとに集まっていた時、実際はどれほど本気で救い主を求めていたのか。世の中の価値観ではなくて、本物がほしいと願っていたのではないのか。そして、今やイエス様はヨハネ以上に(ヨハネは救い主を迎える準備の働きでしたから)、本当に待ち望んでいたイエス様が来ているのだ、ということを話します(7~9節)。
そして「あなたがたが認めようとすれば分かる(14節)」と言われます。真剣に救いを求めることを恥ずかしがるような思いがあるかもしれません。しかし私たちが本気なら、神様は本気で応えてくださる方です。求めて聖書に向き合いましょう。
3.人の評価ではなく、自分で見ること
終わりに、イエス様は「今の時代」は自分たちの思いどおりになるものでないと、すぐ不満を言うと語ります。イエス様は私たちの都合に合わせた救い主ではなくて、本物ですから、思っていたのと違うと言って反対する人もいるでしょう。でも、人の評価ではなく、聖書をとおして自分で見て判断することが大切です。
<思い巡らし>
神様・イエス様を見るには聖書を学びましょう。真っすぐ求めることをためらわせる何かがありますか。
人の評価に惑わされることがありますか。