失って得るもの

マタイによる福音書10篇26-31節 

イエス様に従うことは、苦難もありますがそれに以上の恵みがあります。

1.イエス様の仲間
 「イエス様の仲間です」と言い表す者を、イエス様も神様の前で仲間だと言うと語られました。一方で、イエス様を「知らない」という人を、イエス様も知らないと言うとも言われました(32~33節)。ドキッとする言葉です。
 イエス様に従う人が少数派(マイノリティ)の環境に住んでいると、クリスチャンであることを表明するのに勇気がいる時があります。そんな時は、十字架の前の晩に、ペトロが自分の身を守るためにイエス様を「知らない」と言ってしまう場面に共感します。イエス様は、そんなペトロや勇気のない私たちを赦してくれますが、だからこそ、その私たちに命を懸けてくれたイエス様に応答したいと思います。
 置かれた場所で、イエス様を信じていることを明かして歩んでみましょう。
 
2.失って得るもの
 次に、イエス様はご自分が「平和ではなく、剣をもたらすために来た(34節)」と、衝撃発言をします。もちろん、争いを勧めにきたということではありません。イエス様を信じて従うと決めると、必ずそれに反対する人も出てくるということをたとえて話しているのです。
しかし、家族を敵に回すことになったり、自分の思い描いた人生を犠牲にするようなことになったりしても、なお従いなさいとイエス様は言います。それは「自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたし(イエス様)のために命を失う者は、かえってそれを得る(39節)」からです。
たとえ命を失っても、イエス様に従う人は永遠の命を受けます。同じように、いっとき大切なものを失うとしても、やがてより大きな恵みとなって受け取るのです。

3.平和の子が受ける祝福
 最後に、そのようにイエス様に従う人を受け入れる人は、同じように祝福を受けると約束が与えられています(40節)。ですから勝手に控えないで、イエス様をみんなに分かち合っていきましょう。

<思い巡らし>
イエス様の仲間と明かしましょう、失って得るものがあります。