新しく確かな霊
詩編51篇12-19節
今日はペンテコステ(聖霊降臨祭)です。イエス様(神様)の霊である「聖霊」が与えられていることを喜び祝いましょう。
1.悔い改めて聖くされ、聖霊を受け取ること
旧約聖書の時代にも、特別な人、特別な時に神様はご自身でもある聖霊を与えることがありました。今日の詩編51篇の祈りを記したダビデも、その一人です。
ダビデは「神よ、わたしの内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください(12節)」と祈りました。聖霊なる神様は、聖なる(罪無く清い)ところに住まわれます。一方で、私たちは誰もが罪を持っていて迎えることができません。
しかし、私たちにとっての福音(良い知らせ)は、イエス様がその罪をすべて十字架で赦し、洗い流して清くしてくださったことです。悔い改めて、このイエス様の救いを信じて受け取る人は、誰でも聖なるものとされ聖霊を受けます。
2.共におられる聖霊
ダビデは続けて「御前からわたしを退けず、あなたの聖なる霊を取り上げないでください(13節)」と祈りました。「御前」とあるように、ダビデはいつも主と共に(聖霊と共に)生きていました。聖霊はイエス様を主と信じて迎える人の内に文字どおり住んでくださいます。しかも、ダビデは「取り上げないで」と恐れましたが、イエス様は「世の終わりまで(マタイ28)」共にいると宣言されました。私たちの信仰の歩みは、思想や信条の問題ではありません。この共にいて、見捨てることのないイエス様と生きることです。
3.自由の霊によって
「自由の霊によって支えてください」とダビデは祈ります。聖霊は自由を与えてくださる方です。自分の思うままに生きることが自由だと思うかもしれませんが、実際は罪の奴隷になっていると聖書は語ります。しかし、神様に従う者をイエス様は「しもべ」ではなく「友」と呼びます(ヨハネ15:15)。聖霊の導きに従うとき、本当の自由を得ます。この方を迎えて歩みだしましょう!
<思い巡らし>
文字どおり共におられるイエス様を今、迎えましょう。