神様の子供として

マタイによる福音書7章7~12節 

山の上でイエス様が弟子たちに語ったメッセージに、今日も耳を傾けましょう。

1.「誰に」求めるのか
 イエス様は「求めなさい。そうすれば、与えられる(7節)」と語られました。
 今は苦難続きで「あきらめの時代」かもしれません。どうせ変わらない、今より悪くならなければ良いと考えることも多いでしょう。しかし、イエス様は求めなさい、と言われます。最初からあきらめるのではなく、良いものを求めましょう。
 一方で誤解されている御言葉でもあります。自分の都合に良いものを何でも求めてゲットしようという欲望の教えではありません。まず大切なのは「誰に」求めるのかということです。言うまでもなく、それは今生きておられる、あなたを造られた主なる神様に向かって求めるのです。応えてくださる方に願うとき、はじめて私たちは受け取ることができるのです。

2.「何を」求めるのか
 次に「何を」求めるのかが大切です。もちろん、善いものであれば何でも求めればよいのです。遠慮せずに主に求めて祈りましょう。
 その上で、主が与えてくださる最も善いものは「主ご自身」であることも、今日知りたいと思います。神様は私たちが罪に滅びることがないように、永遠の命を受けるために、自ら人となり(イエス・キリスト)、十字架にかかって罪の罰を支払ってくださいました。そして、信じるすべてのものと共にいてくださる約束をされました。親が子に最も善いものを与えようとするように、神様は私たちにすべてのすべてであるご自身を与えてくださるのです。求めて受けるものとなりましょう。

3.受け取った人は与えられる
 最後に「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい(12節)」とイエス様は言われます。さらに加えて、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい(ヨハネ13:34)」とも言われます。私たちは受け取って、はじめて分かち合うことができます。イエス様の愛を受け取って、また分かち合うものになっていきましょう。

<思い巡らし>
誰に求めていますか/何を求めていますか/分かち合っていますか