三度つまずいて

ヨハネによる福音書21章15~19節

復活したイエス様は弟子のペトロに問いかけます。

1.わたしを愛しているか

 ペトロはかつてイエス様に「あなたのためなら命を捨てます(13:37)」と言いましたが、イエス様が捕まると、三度も弟子であることを否定してしまいました。

 そのペトロに復活したイエス様は三度、「わたしを愛しているか」と問いかけました。裏切って壊れてしまった関係性を回復するために、裏切られたイエス様のほうから声をかけたのです。

 原語を見ると、イエス様のような無償の愛で「わたしを愛しているか」という問いかけに、自分の限界を知ったペトロは「慕っています」と答えるのが精一杯でした。しかし、イエス様はそのペトロの正直で真剣な答えを良しとしました。

 私たちには愛情はありますが、愛はありません。罪と弱さがあって、イエス様のようには愛せないのです。しかし、それでも主の愛を受けて、精一杯応えたいと思うならば、イエス様はそれをもって良しとしてくださるのです。

2.三度つまずいて

 ペトロは三度もイエス様を否定して、すっかり砕かれ、打ちひしがれていました。しかし、その失敗が彼を本当の意味でイエス様に従う者に相応しい姿へ成長させたのです。イエス様は三度のペトロの応えに、「わたしの小羊を飼いなさい」から始まって、少しずつ内容を変えて使命を与えます。そこから、ペトロがつまずいて、つまずいて、つまずくごとに、成長し、造りかえられて、ついにイエス様からゆだねられた働きに十分に応えられる者になっていったことが分かります。

3.羊飼いの羊飼い

 結局、イエス様の問いかけは「わたしを愛しているか」というたった一つ、イエス様への愛がどうかということだけです。それは、イエス様が「良い羊飼い(10:11)」だからです。私たちは使命を与えられて生きますが、その動機も、果たすために必要なすべてのものも、イエス様のもとに行く時にはじめて与えられます。

<思い巡らしてみましょう>

 わたしを愛しているかという問いにどう応答しますか