キリストの復活
ヨハネによる福音書20章1~10節
イエス様の十字架と復活は、信仰者にとって最も重要なことです。しかし、なかなか事実として受け入れることは難しいことです。特に「復活」は、実際に復活した人と会ったことがないのでなおさら難しいと思います。その「復活」に心を寄せたいと思います。
1.マグダラのアリア(1~2節)
安息日直後の朝早く、マグダラのマリアはイエス様の墓に向かいます。その時、墓の石はどかされ、中にイエス様のご遺体はありませんでした。この驚異をペトロとヨハネに伝えます。マリアは、この時、復活に思いは至りませんでした。遺体がないという目に見える現実に困惑します。
2.空っぽの墓(5~7節)
「空っぽの墓」。そこには死体をくるんでいた亜麻布が、ご遺体のあった所から離れた所に、不自然に丸めておかれていました。弟子たちは、それを見てイエス様の言ったことを思い起こし、「復活」を信じました。
3.信じること・理解すること(8~9節)
「見て、信じた」弟子たち。しかし、復活を理解することはできません。なぜ「イエス様の復活」が必要なのか、その意味はわからないのです。しかし、復活を信じたのです。「復活」は、神様の領域の出来事です。私たち自身の努力で理解できるものではありません。神の霊(イエス様自身と聖霊なる神様)が教えてくれるのです。
4.復活
「復活」は、イエス様が罪とその先にある死に打ち勝って私たちを救います。そして、復活の命(永遠の命)に私たちを導きます。生きるものとするのです。最後の審判の時には、死に渡される私たちをイエス様の救いにより生きる者へと変えられます。その生きる希望は、私たちの生活に深みを与え、尊い日々を思い起こさせます。苦しみは苦しみで終わらず、その先に祝福があります。さらに死に打ち勝つような神様の御力が、私たちの生きる力となります。
キリストの復活によって、死からよみがえられたその同じ力が、私たちの中にあること、そして今も働いていることは事実なのです。