礼拝する群れ

 ヨハネの福音書4章24節、第一コリント信徒への手紙12章27節    

 礼拝とは何でしょうか。イエス様が語られた言葉から、「礼拝」という視点で、私たち教会に与えられてきた実を数えてみたいと思います。

1.礼拝とは何か

 「神を礼拝する(24節)」と言いますが、そもそも「礼拝」とは何なのでしょうか。新約聖書で「礼拝」という言葉は、別の個所では「ひれ伏す」とも訳されます。つまり、神様の前にひれ伏して拝むことを「礼拝」というのです。

 神様は礼拝されるべき方です。なぜなら、この方が私たちの知っているすべてのものを造られ、また私たちもこの方によって造られたからです。造り主である神様に栄光をお返しして拝することは、私たち人間の存在の本来の姿だと言えます。

2.霊と真理をもって

一方で、そのように大きな立場の差がある神様ですが、同時に私たちを愛しておられ、親しく関わってくださる方でもあります。神様は私たちの礼拝をふんぞり返って見下ろしているのではなく、私たちのただ中に共にいて接してくださるのです。

イエス様は「神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない(24節)」と語られました。「霊」とは聖霊(神様の霊)のことです。目には見えないけれど「ここにいる」主ご自身です。

また、「真理」とはイエス様のことです(参照ヨハネ14:6)。私たちのために人となり、十字架で私たちの罪を赦してくださり、神様の前に立つに相応しい聖なる者としてくださった方です。

こうして私たちはイエス様への信仰と、聖霊が共におられる状況の中で、本当に神様と出会い、ひれ伏し、親しくコミュニケーションをとることができるのです。これこそが今、私たちに与えられている礼拝です。あなたも礼拝に加わりましょう。

3.礼拝する群れ

 私たち教会は礼拝する人々の群れであり、またそれらの群れがさらに集まって「キリストの体(Ⅰコリ12:27)」を形づくっています。この10年の歩みの中で、私たちは礼拝する群れとして成長してくることができました。主に感謝しましょう。

<思い巡らしてみましょう>

 霊と真理をもって礼拝していますか。礼拝に関する実を数えよう