人の思い、主の計画
創世記 29章31節~30章8節
ヤコブの二人の妻ラケルとレアの間で、子どもを巡って激しい対立が起こります。
1.愛されることを渇望して ~レアの場合
ヤコブは明らかにレアよりもラケルを愛していました。しかし、その様子を見て主は「彼女(レア)の胎を開かれ(31節)」て、レアはまず四人の男の子を産みました。子どもたちへの名づけの様子を見ると、彼女がいかに夫から愛されたいと願っていたかが伝わってきます(32~34節)。ところが、三人目が生まれても、ヤコブがレアよりもラケルを愛している状況は変わりませんでした。
一方で、子どもが与えられていく中で変わっていったのは、実はレア自身だったのです。四人目の子を産んで、名付ける時、彼女はついに「今度こそ主をほめたたえよう(ユダ)」と言いました。彼女は夫の愛を渇望していましたが、やがて自分に目を注ぎ続けている主なる神様の愛に気づくようになりました。この後も、彼女とヤコブの関係は苦難が続きますが、その中でも凛として立つ女性となりました。
2.自分のプライドを守りたい ~ラケルの場合
ラケルは姉であるレアに比べて容姿が美しく生まれ、ヤコブからの愛を独占していました。ところがレアには子どもが与えられるのに、自分にはまったく与えられないことで、「姉をねたむようになり(1節)」ました。そこで彼女はヤコブに子どもを求めますが、ヤコブは「わたしが神に代われると言うのか(2節)」と怒ります。
その後、彼女は自分の召使いをヤコブの側女として子を持ち、「ついに勝った(7節)」といって自分のプライドを満足させます。しかし、これらの激しい対立と消耗の末に、ついにラケル自身が子を産みます。彼女は長く神様に願い続けてきた結果、主が命を与えることを知り、主を誇る者となりました(創世記30:24)。
3.人の思い、主の計画
人間への依存や、ねたみの問題をも通して、なお神様はヤコブの子どもたちを祝福の計画へ導きました。ヤコブの「わたしが神に代われると言うのか」という怒りの言葉は、やがて時を超えてその子ヨセフが兄弟たちを赦し、家族を救った時に、赦しの言葉として語ることになります(創世記50:19)。
<思い巡らしてみましょう>
人生は思うようになりませんが、主に信頼する人は祝福を受けます。