あなたを見た
ヨハネによる福音書1章43~51節
三つの「見る」に注目しながら、イエス様の私たちへの呼びかけを聞きましょう。
1.来て、見なさい(43~46節)
イエス様はまずフィリポという人に「わたしに従いなさい」と声をかけます。フィリポは信じて従います。それだけでなく、友人のナタナエルにイエス様が聖書に書かれた救い主だと証しします。いぶかるナタナエルにフィリポは「来て、見なさい」と言って、直接イエス様に出会うことができるように連れて行きます。
信仰はイエス様と実際に出会っていくことです。今の私たちで言えば、聖書の言葉、礼拝や祈りをとおしてイエス様に出会います。最初は誰かに誘われたり、ふと思いついたりして聖書や教会に触れるでしょうけれども、そこで実際にイエス様に出会っていく一人ひとりの体験です。もちろん、あなたも招かれています。
2.あなたを見た(47~49節)
ナタナエルに出会う前から、イエス様は彼を知っていました。ナタナエルが有名だったからではありません。イエス様は天地を造られた主が人となられた方でしたから、すべての前からナタナエルを「見ていた」のです。
主なる神様はあなたを見て、知っています。しかも、たまにチラッと見るという程度ではなく、また罰を与えようと見はっているのでもなく、愛する子として生まれる前から眼差しを注いでおられます(参照:詩編139:13~18)。
ナタナエルはそのことに気づいて、イエス様を自分の主、王として迎えました。あなたにも主の目は注がれています。
3.偉大なことをあなたは見る(50~51節)
信じたナタナエルにイエス様は「もっと偉大なことをあなたは見ることになる」と言われました。それは、イエス様が十字架によって、私たちと天国の神様との間をつなぐ架け橋となってくださったことです。主が見せようとしておられることに目を注ぎましょう。
<思い巡らしてみましょう>
1.どんなきっかけでイエス様(教会、聖書)と出会いましたか?
2.神様はどんな眼差しであなたを見ていると思いますか?
3.神様があなたに見せようとしていることは何だと思いますか?