待ち望んでいた朝

   マルコによる福音書15章42節~16章8節     

 

    イースターおめでとうございます!イエス様の復活をともに喜び祝いましょう!

 

1.震え上がるような出来事

 十字架で確かにイエス様は命を落とされました。仮死状態だったとか、そういうことではありません。多くの立場の違う人たちが、その死を目撃し、確認しました(44~47節)。足掛け三日後、三人の婦人たちがイエス様の遺体を処置してあげたいと、墓に向かいます。彼女たちは、遺体と向き合うために向かいましたが、そこで出会ったのは復活を告げる天使でした(1~7節)。

 彼女たちは、この出来事に遭遇して、「震え上がり、正気を失っていた(8節)」と記されています。イエス様の復活は、震え上がり、正気を失うような出来事です。キリスト教の信仰が広まった現在では、「そう信じられているよね」と冷静に受け止められますが、今日、もう一度、彼女たちの驚嘆を新鮮な思いで受け取りたいと思います。イースターおめでとうございます。イエス様は実に復活されたのです。

 

2.言うまでもない事実

 マルコの福音書は、今日の個所の後にも少し続きがありますが、元々は今日の8節までだったと言われています。そう考えてみると、婦人たちが驚いた場面で終わるのは少し唐突な感じもあります。しかし、それはイエス様の復活が、当時はあまりにも皆に知れ渡っていた事実だったからだと考えることもできます。この福音書が書かれた時点では、復活後のイエス様に出会った人々が実際に多くいました。復活が事実でなければ、聖書の信仰はむなしいものです。しかし、今日の個所は力強く、イエス様の復活と私たちへの永遠の命の約束を証ししています。

 

3.この方こそ主

 マルコによる福音書は、一貫して読者に「このイエスとは何者か?」を語り、またそれを信じるかと問いかけています。福音書の最初の一言はこうでした。

「神の子イエス・キリストの福音の初め(1章1節)」

福音書の終わりも、起きた出来事を簡潔に、誠実に書き記し、そして私たちに問いかけています。この復活したイエスとは何者だと信じますか?と。

 

<思い巡らしてみましょう>

 イエス様は復活の主です。私たちも信じて命を受けとりましょう。