十字架と赦し
ルカによる福音書23章32~43節
イエス様の十字架こそ信仰の中心です。それはいったい何なのでしょうか。
1.死刑を与える十字架
十字架刑は最も重い刑罰です。単なる死刑ではなく、長い期間にわたって苦しみと辱めを与えて死に至らせる恐ろしい罰です。手足にクギを打ち込まれて木の十字架にはりつけにされ、自分の体重を支える苦しみの中で徐々に消耗し、やがて息を引き取ります。当然、この罰を受けるのはそれに相応しい重罪を犯した人々でした。
しかし、イエス様にはまったく罪がありませんでした。同じように十字架にかけられた現実に重罪を犯した犯罪人でさえ、そのこと証ししています(41節)。
罪がない人が、最も重い罪の罰を受ける。ここにイエス様の十字架の意味があります。つまり、私たちのあらゆる罪の罰を、代わりに受けられたのです。
2.イエス様の祈り
イエス様は十字架の上で次のように祈りました。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです(34節)」
「彼ら」とは誰でしょうか。その場にいたのは、浅ましくイエス様の衣服をくじ引きで分ける係員たち(34節)、この死刑が間違っていると薄々知りながら声を上げない民衆(35節)、ねたみによって十字架にかけた首謀者の議員たち(34節)、調子に乗って侮辱する無関係の兵士たち(36節)でした。いずれも、人の罪の姿をあらわす代表者たちです。
彼らは、私たちであり、あなたです。イエス様はあなたの罪の罰を代わりに受けるから、あなたを赦してほしいと祈られたのです。
3.救いを与える十字架
一緒に十字架刑を受けていた犯罪人の一人は、イエス様を救い主だと悟り、イエス様に「あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください(42節)」と願いました。イエス様は彼が天国に行くことを約束しました。
イエス・キリストとその十字架の救いを信じる人は、赦しと救いを受けます。
① 34~38節に出てくる人々の罪の姿で、自分と重なる部分がありますか?
② イエス様はあなたの罪の罰を代わりに受けたと聖書にあります。どう感じますか。
③ 赦されている、救われたと実感した経験はありますか?