聖書と信仰

   ルカによる福音書8章4~15節    

 

 聖書と信仰の関係について、イエス様は種を蒔く人のたとえで話されました。

 「種は神の言葉(11節)」をたとえています。聖書は神様の言葉です。確かに多くの人間の手によって書かれ、編纂されていますが、その人々や歴史に主が働いて紡がれたものが聖書なのです。ですから、私たちは聖書の言葉を神様の言葉と信じて受け取ります。今日のたとえ話も主があなたに語っています。

 

 

1.御言葉は聞いて信じるもの

 「ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった(5節)」これは、御言葉を聞いても、悪魔が心からそれを奪っていってしまう人のケースをたとえています。悪魔は人が御言葉を聞くのが嫌いです。なぜなら、聞いて信じる者は救われるからです(12節)。

 聖書の言葉は、人を救います。それは単なる心情的な慰めにとどまる救いではありません。イエス様と出会い、罪の赦しを受け取り、天国の命をいただく救いです。

 

2.御言葉は信仰を支えるもの

 「ほかの種は石地に落ち、芽は出たが、水気がないので枯れてしまった(6節)」これは御言葉を聞くと喜んで受け入れるけれど、根がないので、何か試練があるとすぐに信仰を捨ててしまう人のケースをたとえています(13節)。

 聖書の言葉は、信じた後の信仰を支えるものです。信仰は実際に生きることです。聖書の言葉に聞き従って、実際に生きていく人には命の根が張っていきます。

 

3.御言葉は実を結ぶもの

 「ほかの種は茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。またほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ(7~8節)」

 御言葉を聞いて信じても、人生の思い煩いや富や快楽に誘われ、実が熟さない人のケースもあります。逆に、聞き、信じ、実際に聖書の教えを実践していく人は、その内面においても、人生においても、多くの実を結びます。

 ① 聖書を「神様の言葉」だと信じることができますか?何か妨げがありますか。

 ② 聖書の言葉を通して、「救われた」と感じたことはありますか?

 ③ 聖書の教えを実践する生き方は実を結ぶと言います。どう思いますか?