キリストの言葉
ルカによる福音書15章1~24節
イエス様は多くの「たとえ」を用いてお話しになりました。中でも今日開く「放蕩息子のたとえ」は有名です。ある父に息子がいて、その息子が財産を分けてもらって外国に旅立ちます。ひどい生活をして財産を使い果たし、食うに困り始めます。
1.我に返る息子
飢え死にしかけた息子は「我に返って(17節)」、父のもとに帰って赦しを乞うことを決心します。このたとえ話では、「父」は神様、「息子」は私たち(あなた)をたとえています。
私たちも良いものを沢山与えられていますが、神様から離れて関わりなく生きていくと、それを失い、やがて疲れ果てていきます。しかし、そこで「私には帰る家があるのだ」と、我に返ることができる人は幸いです。
2.ずっと待ってたお父さん
息子は父のもとに帰りました。すると「まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した(20節)」のです。
私たちが天の父なる神様を信じる時、神様は同じようにあなたを迎えます。遠く離れていたのに息子を見つけた父の姿には、ずっとあなたが自分のもとに来るのを待っている神様の姿があります。そして、この世の歩みで傷つき疲れたあなたを胸の張り裂けるような思いで見て、グッと抱きしめようとする姿があります。今さら神様を信じられないと思いますか。いいえ、神様はあなたを待っています。
3.神様の子どもとされる
息子は悔い改めて赦してもらい、雇い人の一人にしてほしいと考えていました。しかし、父はその願いを言い終える前に、息子を再び自分の子として迎えることを態度で示します(22節)。どんなに神様と関係のない生き方をしてきたものでも、悔い改めて、主の前に進み出たなら、神様の子どもとされます。それは天国を受け継ぐ子です。
① 息子の姿で共感する部分はありましたか。
② あなたには天にお父さん(神様)がいるということを、どう思いますか。
③ 神様の子どもとされるということについて、どう思いますか。