手ぶらで天国へ
マルコによる福音書10章17~31節
ある金持ちの青年とイエス様のやり取りから、天国に入る方法が明らかにされます。
1.何をすれば天国へ?
ごく真面目な青年がイエス様のもとに来て質問をしました。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか(17節)」
「何をすれば…」という彼の言葉には、永遠の命を得て、天国に入るには、「善いこと」をしていく必要がある、という彼自身の先入観がよく表れています。しかし、イエス様の応答はすこし変わったものでした。
「神おひとりのほかに、善い者はだれもいない(18節)」善い悪いを最終的に決めるのは神様だけです。各自が自分の基準で「善い」を決めて努力をしても、神様の基準で「善い」ものになることは到底できません。この真面目な青年を「慈しんで(21節)」、そのことに気づかせようとイエス様は言います。「持っているものを売り払い、貧しい人々に施し…わたしに従いなさい(21節)」
青年は悲しみながら立ち去ります。たくさん財産を持っていたからです。
2.神にはできる
イエス様は続けて弟子たちに教えます。「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい(25節)」つまり、不可能だと言うのです。
もちろん、裕福になることは神様の祝福の場合もありますから、弟子たちも驚いて「それでは、誰が救われるだろうか(26節)」とザワつきました。イエス様は言います。「神にはできる(27節)」このやり取りは、金持ちが良いとか悪いとかいう話ではありません。真面目な性格も、善行の積み重ねも、築いた財産も、どんな名声も、天国に入る役には立たないと教えているのです。
それはただ、神にはできる、という信仰にのみかかっているのです。
3.手ぶらで天国へ
自分の力で救いを得られると考える人は、自分の力を誇ります。しかし、イエス様の救いを受けとる人は、どんな立派な理由も手放すのです。ただ、信じて救いを受けとること、それが天国に入る唯一の方法です。
<思いめぐらしてみましょう>
自分の誇りを手放し、イエス様の天国の切符を受け取りましょう