心が頑固
マルコによる福音書10章1~12節
いよいよイエス様がエルサレムに向かいます。すなわち、十字架に続く旅の始まりです。それと同時に、イエス様にねたみを抱く人々からの悪意も強くなります。
1.心が頑固
旅の途中、ファリサイ派の人々が「離婚は聖書において正しいかどうか」を、イエス様に質問します。どんな答えでも、イエス様の人気を落とすことができると目論んでの、悪意のある質問でした(1~2節)。
ところが、イエス様は逆に彼らに問いかけ、彼らが聖書の言葉を本質的に見誤っていることを明らかにします(3~4節)。
そして、イエス様はファリサイ派の人々の「心が頑固」で、聖書を通して神様が本当に語ろうとしていることを全然理解できていないことを指摘しました(5節)。
ファリサイ派の人々は「離婚」を前提に話を始めました。しかし、イエス様は「結婚」の恵みを語りました。
2.神様の思いを知る
聖書の時代から今に至るまで、人の世には離婚は現実に起こります。聖書に書かれた離婚の手続きは、人の心の頑なさや罪で、さらに人が傷つかないように語られたものでした。しかし、やがてそれが離婚の理由に使われるようになり、あげくイエス様を陥れるために使われています。正しさを振りかざし、実際は人の幸いを望む神様の思いを無視する、人間の持つ罪の姿が浮き上がって見えます。
聖書の言葉は私たちを縛るためのものではなく、生かすためにあります。そこから伝わってくる「神様の思い」に目を開かれましょう。
3.結婚の素晴らしさ
イエス様はあらためて、「結婚」は神様が私たち人間に与えられた特別な祝福であることを語ります(6~9節)。それは、神様と男女二人の祝福の契約なのです。もちろん、不貞や暴力、他にも様々な、やむにやまれぬ原因で、離婚を選ばなければならない事態もあるでしょう。主はそれを、愛を持って許されます。しかし、本当に大切なことは、人間の手続きではなく、神様の私たちへの愛です。
<思い巡らしてみましょう>
心が頑固になっていませんか。目を開き、主を求めましょう。