光を迎える時

ヨハネによる福音書1章6~8節

 

 教会の暦では、今日からアドベント(待降節)になります。イエス様の誕生を祝うクリスマスに向けて、その意味を心に思いめぐらしながら、喜びと期待を持って過ごす時です。今日は、イエス様を迎える道備えをした人、ヨハネに目を留めます。

 

1.その名はヨハネ

「神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである(6節)」
 洗礼者ヨハネと呼ばれる人物が、イエス様に先立って生まれます。「神から遣わされた」という通り、彼には明確な使命がありました。それは、間もなく救い主が与えられることを人々に伝え(*わずか半年後にイエス様が生まれる)、その方をお迎えする準備をさせることでした。
 クリスマスという言葉は、一般に普及しましたが、その真の意味はまだまだ知られていません。今、ヨハネを通して神様が、あなたにその意味を語りかけています。

2.お迎えの準備とは

 ヨハネは神様から示されている、救い主イエス様のことを証言しました(7節)。イエス様が人となられた神様で、「世の罪を取り除く(29節)」方であると紹介しました。そして、人々に罪を悔い改めて、この救い主イエス様を迎えるようにと、罪を洗い清める洗礼を授けていました。
 イエス様を迎える備えは、電飾やドレスなどの外側の準備ではありません。自分の罪を悔い改めて心を備え、それを赦し、救ってくださる方をお迎えしましょう。

3.光を迎える時

 「彼は光ではなく、光について証しをするために来た(8節)」
 洗礼者ヨハネは、自分が救い主だと勘違いされることを嫌いました。彼は自分が光なのではなく、イエス様こそが彼を含め、私たちすべての人の暗闇を照らす光だと知っていたからです。
信仰とは信じて仰ぎ見ることです。月が太陽の光を浴びて、はじめて輝くように、私たちは光であるイエス様を仰いでこそ、暗闇が吹き払われ輝きます。逆に背を向ければ、たちまち私たちは暗闇に覆われます。主を仰いで、迎えましょう。

<思い巡らしてみましょう>

クリスマスの意味は?悔い改めて、イエス様を仰ぎ、迎えましょう。