深い淵の底から
詩編130篇1~8節
詩編から、特に今日は、嘆き祈る「悔い改めの祈り」に注目しましょう。
1.深い淵の底から
「深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます(1節)」と言って、この祈りは始まります。「深い淵の底」とは、底の底、深い深みのことです。全く光のささない暗闇のような場所、そのまた一番深いところからの祈りです。それは、人の心の闇であり、罪のどん底です。人の心には確かに闇があります。そのどうしようもない中で、嘆き、助けを求める。これは、そんな祈りなのです。
その暗闇には、聖書の教える罪が必ず関わっています。自分の罪や、誰かの罪、あるいはもっと大きな、人間誰もが持っているような罪も。もし神様がその罪全てに心を留めるなら絶望です。私たちは耐えられません。赦しが必要です(3~4節)。
2.主を待ち望む
希望はあります。この祈りは、繰り返し「待っている」、「望みを置いている」と言います(5~6節)。待っている相手も、希望を置いている相手も、主なる神様です。この人間の闇を解決してくれるのは、神様だけだからです。
早く朝が来ないかと、夜通し見張りをする夜警よりも、もっと強く主の救いを待ちます(6節)。この期待は決して裏切られることはありません。夜は必ずいつか明けるからです。主を待ち望むのは、来るか来ないかわからない人を待つのとは違います。この祈りに出てくる「待ち・望む」という言葉には、信頼や未来への希望が込められています。今日生きる力をも与えることのできる確かな希望なのです。
3.深い淵の底に来た方
特に、今の時代を生きる私たちは、この希望が現実であることを知っています。自力では決して出ることのできない、この深い淵の底に、危険をかえりみずに、わざわざ助けに降りて来てくれた方がいるからです。それは、イエス・キリストです。その十字架によって私たちは赦されたのです。
イエス様に照らされると、闇が晴れます。一気に全部ではないかもしれません。しかし、必ず闇は晴れます。それに、忘れないでください、あなたはもう深い淵に一人きりではないのです。主イエスはあなたのそばにいます。
<思い巡らしてみましょう>
深い淵の底にいますか?救いはあります。イエス様を呼びましょう