聖なる土台と建物

第一コリントの信徒への手紙3章10~17節  

 来年、わたしたち勝田教会は70周年を迎えます。今日は、そのプレ記念集会として、教会に連なるすべての人が一緒に集まって礼拝をささげます。

あらためて、教会とは何かを聖書の御言葉から確認し、70年の恵みを数えて感謝と賛美をささげたいと思います。

  1.教会の土台はイエス・キリスト

 「教会」といっても、いろいろな種類の教会があります。カトリックや正教会、そしてわたしたちプロテスタントの教会は、それぞれ礼拝のスタイルや、聖職者の呼び方など大きく違います。同じプロテスタントでも、やはり持っている伝統や形式はそれぞれに全く違います。しかし、土台が同じなのです。それは「イエス・キリストという既に据えられている土台(11節)」です。

 わたしたちは人となられた神、永遠の命を与えてくださる救い主イエス様を信じています。それが変わることのない土台です。もし、教会がイエス様を土台としなければ、あるいはイエス様の教えを勝手に変えて偽物としてしまえば、それはもう「教会」ではありません。

 偉い牧師や司祭、2000年の歴史も伝統も、教会の土台には全くなりません。イエス・キリストのもとに集められた教会は、どんなに小さくとも大きくとも聖なる土台のもとに建てられた教会なのです。

2.あなたがたが聖なる神殿

 聖書は続けてこう語ります。「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか(16節)」

 教会とは建物ではありません。一人ひとりのイエス様を信じる人間が教会なのです。信じて洗礼を受けたクリスチャンの内に、主の聖霊が住まわれると聖書は約束しています。もちろん、信じれば、罪をおかさず、まったく人格的にも優れた完璧超人になれるというわけではありません。しかし、主はその罪人を赦し、聖霊を住まわせ、変えていってくださるのです。わたしたちは主によって、教会である自分を建て上げましょう。また、「あなたがたは」という通り、その一人ひとりが集められて、また一つの教会です。共に聖なる神殿である教会を建て上げましょう。

<思い巡らしてみましょう>

 イエス様を土台としていますか。あなたが、わたしたちが教会です