信仰の壁
マルコによる福音書8章11~21節
福音書は、イエス様が人となられた主なる神様だと証しています。また、同時にそれを素直に信じることが難しい人の姿も、隠さずに記録されています。
1.「しるし」を求めても…
今日の個所には、まずファリサイ派の人々が登場します。彼らは聖書の律法と、それにまつわる規則の数々を守ることに情熱を燃やしていました。しかし、残念ながら「頑張っている自分たち」に熱心になってしまい、信仰の本質である神様との関係はないがしろになっていました。だからこそ、イエス様の人気に嫉妬し、形よりも本当の関係性を大切にするイエス様の教えに反発していました。そこで彼らはイエス様に「天からのしるしを求め、議論をしかけた(11節)」のです。
実は、既にイエス様は数々の奇跡や教えを通して、あからさまにご自分が主であると「しるし」を示してきました。しかし、ファリサイ派の人々は、最初から信じる気がない、というのがポイントです。信仰の第一の壁は、そもそも信じる気はない、ということです。イエス様は、静かに彼らのもとを去りました。
2.注意すべきパン種
イエス様は弟子たちに、ファリサイ派の人々の本質を見失った教えに気をつけるよう教えました。ただし、いつものように、「ファリサイ派の人々のパン種に…気をつけなさい(15節)」という、独特のたとえを使って、弟子たちに教えました。
3.悟らないのか
残念ながら、弟子たちはたとえを理解できず、自分たちがパンを持ってきてないから叱られているのだと勘違いしました(16節)。そこで、イエス様は大勢の人に食事を与えた奇跡を思い出させ、「まだ悟らないのか(21節)」と弟子たちをたしなめました。イエス様に従う弟子たちにも、信仰の壁があります。乗り越えていくためのコツは、①聖書の御言葉によく向き合うこと、②信じる心を持つこと、③聖霊に心の目と耳を開いてもらうこと、④主が自分の人生に関わってくださっていることに気づくこと、です。
<思い巡らしてみましょう>
あなたの信仰の壁は何でしょう。主は既にあなたに関わっています。