イエスにつまずく
マルコによる福音書6章1~6節
イエス様が故郷のナザレに戻られた時の出来事です。
1. 神であるイエスにつまずく
故郷では多くの人がイエス様につまずきました。ここで言う「つまずく」とは、疑って信じられなかったということです。つまずいてしまうポイントは村人たちの言葉によく表れています。
第一に、彼らは「この人は、このようなことをどこから得たのだろう(2節)」と言います。つまり、イエス様がどんなきっかけで「神的」な存在になったのだろうか、という疑問です。しかし、聖書はイエス様は途中から神となったのではなく、その初めから神様であったことを語っています(ルカ1:35)。イエス様は特別賢い人が宗教の開祖になったというような存在ではありません。
2.イエスの教えと奇跡につまずく
第二に故郷の人々はこう言いました。「この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か(2節)」
イエス様の権威ある言葉と、様々な奇跡を目にしてきて「これは一体なんだ?」と怪しんでいました。人の理解を超えたもの、常識の枠におさめられないものに拒否反応を起こしたのです。しかし、イエス様を主と信じた時に最もシンプルに解けるつまずきなのです。
3.人となったイエスにつまずく
最後に人々は「この人は、大工ではないか。マリアの息子で(3節)」、兄弟姉妹も普通の村人ではないか、と言います。イエス様を幼い子どもの時から知っている故郷の人々は、人間としてしかイエス様を見られなかったのです。一方で、このことはイエス様が本当に「人」となられた方であることを、よく表しています。
これまでのポイントでイエス様が神様であることを見てきましたが、最後に確認すべきは、イエス様が「神様が人となった方」であるということです。主は確かに人間となった。それは、私たちの人生と共に生き、また罪の苦しみを実際に味わって十字架で負われるためでした。つまずいても真理を求めて、信じる人は幸いです。
<思い巡らしてみましょう>
あなたのつまずきポイント?聖書の心理を求めましょう。