羊飼いのいない羊
列王記上22章1~17節
アドベント(待降節)二週目は、旧約聖書で「神様の言葉」がどう取り扱われているかに注目したいと思います。
1.まず主の言葉を求めなさい
今日の聖書個所には、二つに分裂したユダヤ人の国の王たちが、珍しく力を合わせて他国と戦おうと相談する様子が書かれています。北王国のアハブ王は、隣国と戦って領地を取り戻したいからと、南王国のヨシャファト王に協力を求めます。これにヨシャファト王は「まず主の言葉を求めてください(5節)」と答えました。
何よりもまず主の言葉に聞くことが、今も私たちに求められています。具体的に言えば、聖書を開いて神様の考えや思いを求め、知ることです。特にこのアドベントの時期は、イエス様を中心に考えて聖書を読むことの大切さを知るよい時機です。聖書を開いて、イエス・キリストを求めましょう。
2.主は生きておられる
アハブ王は預言者たちを集めて主の言葉を求めますが、400人も集まったその預言者たちは全員が必ず勝つから戦ってよい、と神様が言っていると預言します。実際は王の聞きたい言葉を語るだけのインチキ預言者たちでした。不審に思ったヨシャファト王のうながしで預言者ミカヤが呼ばれますが、ミカヤにも他の連中と同じように預言しろと圧力がかけられます。しかしミカヤは「主は生きておられる」と言い、主の御言葉を純粋に伝えようとします(13~14節)。
誰でも自分に都合のいい言葉だけ聞きたいものですが、聖書の福音はいつも「悔い改めよ」から始まります。主が裁きたいからではなく、赦したいからです。
3.羊飼いのいない羊
ミカヤは神様に与えられた「羊飼いのいない羊」の幻について語ります。いつの時代も神様を見失った人は誰でも羊飼いのいない羊のように迷うものです。しかし、まさにその羊飼いとなり、赦し、愛し、命を与える羊飼いとしてイエス様は生まれました。待降節の今こそイエス様を、あなたを命に導く羊飼いとして迎えましょう。
<思い巡らしてみましょう>
聖書の言葉は神様からあなたへの言葉です。その中心メッセージはイエス様です。